K47 蒲生啓介  さてと。  私はたったいま取り込んだ布団をぽんと叩き、次にすべきことを考えた。  携帯のことも気になるが、まずは当面の生活だ。今まで一人気ままに暮らしてきたところに 同居人が加わるわけだ。いろいろとやることがある。  さすがに衛生上そろそろ問題が出そうだったしヨミもだいぶ快復したようなので、今はお風 呂に入らせている。次は……この近所でも案内してまわろうか。さすがに四六時中くっついて 面倒を見るわけにもいかないし、携帯の件が済んだら私はまた血を売り歩く生活に戻るわけだし。  とはいえ……この件の終わり方次第では私の生活はずたずたに引き裂かれることもありうる。 最悪なのはコトが大きくなって私と先輩の販売ルートが摘発、お縄を頂戴することだ。もっとも、 三食つきの労働環境に連れて行かれるというのはもしかしたら幸せなことなのかもしれない。 そう、もしかしたらそれは「まだマシ」なのかもしれない。  まあ……もし血液販売業を廃業したとしても、先輩は何かしら対策を考えているだろうし、 私をほいほい捨てるようにも見えない……さすがにその程度の信頼関係は築いていると思いたい。  そしてヨミだ。私がどうにかなってしまうと、ヨミも道連れになる。人ひとりの生活を預かって しまったのだ。もう昔のような無茶はできない。  サッシのこすれる音がして、ヨミがTシャツに短パン姿で髪をタオルで拭きながら出てきた。 彼女の髪は本当にべらぼうに長く、腰の辺りではなくおしりが隠れるほどなので、希望を聞いた 上で適当に切ろうかと思う。……個人的には今のままの方が良いのだが、あの長さだとさすがに 髪を乾かすのがめんどくさすぎるだろう。  ヨミは無言のまま(彼女は声を出せないので当たり前なのだが)、机の上に開きっぱなしに してあるノートパソコンに向かって、パタパタとキーボードを叩いてからこちらを見た。覗き 込むとこう書いてある。 『シャンプーきれかかってましたよ』 「そ、ありがとう。買いたしておく」  最初は筆談していたのだが、意思の疎通に時間がかかりすぎる上に紙がいくらあっても足り ないということで田代さんに相談したところ「タイピングで会話させてみたら?」と返された。 そんな、私ですらキーボードにらみつけながらでないと文字が打てないのにと思ったのだが、 なんと、唖然としたというか威厳が損なわれるというか、単に悔しいだけなのだが、ノートパ ソコンの前に座らせるとヨミはブラインドタッチで文字を打ち始めた。みるみるうちに文字で 埋まっていく画面にはお腹すいたお腹すいたお腹すいたお腹すいたお腹すいたと何かの脅迫文 のように延々と書かれていたが、同時に私はこれは使えると思った。報告書やらなにやらの文 書作成はヨミに任せてしまおう、と。  さて、そんなわけで田代さんのすすめもあり最新型のノートパソコンを購入、ヨミに使わせ ることにしていた。彼女にとってノートパソコンはものを言う道具なので、処理速度や容量は 二の次、小型・計量で持ち運びに便利なものを選んだ。なかなか良い額がとんだが、ヨミのた めであれば仕方がない。姪御に洋服買ってあげる気持ちで気前よく20万キャッシュでぽーん と出してやった。 「ヨミ、着替えたらちょっとこの近所案内してあげようか。コンビニの場所とか、覚えておい た方がいいよね。ついでにシャンプー買ってこよう」  ヨミはふらふらと視線を彷徨わせてから――考え事をするときのクセらしい――再びキーボ ードに向き直った。 『田代さんはいいんですか』 「うん。いま調査中、っていうか連絡待ちだからね」  私は上着を羽織り、財布をポケットに入れて、携帯を開いた。田代さんからの連絡はまだない。  田代宅でヨミのZ404……ヨミが監禁されていた場所から持ち出してきた携帯電話にかかって きた電話を、田代さんは結局取った。非通知でかかってきていたからだ。 「はい。……ええ、違います。持ち主の方ですか? ……はい、ちょうど僕のと型が同じだった んで、充電して、あとでお届けにあがろうかと。ほら、警察通すといろいろ面倒でしょ…… そろそろ警察に届けようかと思っていたところですよ……はい、はい」  私は寝付いているヨミの髪を撫でながら、田代さんの会話に耳を澄ませていた。 「ええ。こっちは○○市ですけど……灰色ヶ原町? ああ、いいですよ。近いですし。そうで すね、こっちも仕事とかいろいろありますから……ええ、夜であれば出られると思いますので ……はい、わかりました。はい、いえ、とんでもないです。はい、失礼します」  携帯を耳から離して、田代さんはふう、とため息をつく。 「どうでした?」 「うーん、よくわかんないね」  まあそれもそうかとは思った。 「とりあえず、この携帯を届けることになった。時間と場所は相手側指定」 「……それって、やばくないですか?」  撃たれて死ぬような人間が持っていた携帯だ。それを、相手の指定した場所に届けるなんて、 危ない橋どころじゃない。明らかに崩壊する。 「まあね」しかし田代さんは落ち着いていた。「一応、こっちは善意の第三者ってことになって いるわけだし、もし向こうがこの携帯さえ取り戻せればそれでいいってんなら、穏便に済むと 思うよ。もっとも……‘悪’との取引に応じる気はもともとないけどね」  だから‘悪’ってなんだ。クォーテーションをつけるな。  心中でつっこむと田代さんは眼鏡を指で押し上げてにやりと笑った。眼鏡が光っている。 「組織について洗いざらい喋ってもらうさ。というわけだから、携帯の運び役はお願いね」  この自信はどこから出てくるのだろう。さっきまで電流でトイレのお友達になっていたのに……。  ん?  運び役? 「なんで私が」 「だって僕が持ってったら変身できないじゃん」  変身ってなんだ。 「いやわけわかんないですよ」 「となるとその子に持っていかせることになるけど……監禁していたはずのその子が携帯持って ふらふら出ていったら向こうさんがたはどう思うかね」  うっわー……だめだこいつ、女の子を体張って守ろうって気概がない。 「それに君」再び眼鏡が光る。「けっこう落ち着いてるよ? 危ない橋渡るのも一度や二度じゃ ないんじゃないの?」  私は彼との議論が面倒くさくなり、ため息とともに首肯した。  さて……。  ヨミはコンビニにつくなり週刊誌を手にとってやけに真面目に読み耽っていた。えろい記事の あるやつだったがそれをとりあげる権限は私にはない。  私はいろいろと考えていた。ヨミとのこれからのとろけるような劣情まみれの生活のことでは 断じてなく、このゲームについてだ。  まず、私の視点から見ると、ことの筋道は大きく二つに分かれている。  すなわち、ヨミが持ってきたZ404がこのゲームのフラッグであるかどうかだ。  おそらくそれはない。先輩は、先日私を呼び出したときにそのフラッグである携帯をその目で 見ている。トトなる人物はフラッグであるZ404の場所を正確に把握しおぼろげな形で情報提供を している、となると先輩が見たZ404はホンモノであるはずだし、となればヨミがその携帯を持って 逃げ出せるわけがない。時間的に無理がある。もちろん、ヨミが記憶違いをしていたり、トトなる 人物の情報がウソだったり、先輩がウソをついていたり、そもそも私がZ404とG404を聞き間違えて いたり、可能性は無限にあるが、とりあえず信用できるところを疑わないで可能性を絞っていくと、 ヨミが持ち出したこのZ404は件のゲームのフラッグではない、という結論に至る。  だが次に別の可能性が浮上する。このZ404はホンモノではないがニセモノであったとしたら?  つまり、ホンモノを隠すために故意にばらまかれたエサだったとしたら。  状況はさらにややこしくなる。もしそうだった場合、そこには第三者が介在していることを示す。 ホンモノの位置を自ら公開するトトにはニセモノをばらまく理由がない。となれば、このゲームを ご破算にする、もしくは自分たちの勢力が有利にことを運べるようかく乱する意味合いでニセモノ を、それもある程度意味のあるニセモノをばらまいている別の勢力が存在する。さらには……ホン モノほどマズい情報が入っていなくても、ニセモノにもそれなりに価値のある情報が入っていて、 それを暴露しようとするまた別の第三者がいたとしたら……むう、可能性がどんどん広がっていく。  人間の頭では処理できない可能性は考えないことにするならば、こういうことになる。  ヨミのZ404はこのゲームに関係があるか否か。  関係がないのであればこの携帯をほっぽって雲隠れすればとりあえずヨミの身の安全が保証され るわけで、私としてはもちろんこっちのほうがいい。だが、このタイミングで撃たれて死んだ人の Z404、というのは残念ながら楽観視できるものではない。  ……結局、情報が足りない、という結論に至る。この携帯の持ち主の組織とのコンタクトでなん らかの情報は得られると思うが、それまでにできることはしておいた方がいい。  ……仕方がない。箱男さんに聞いてみるか。  腕にひっかけた買い物カゴに重いものが落とされた。見るとシャンプーとトリートメントとコン ディショナーとハンドソープとアイスがいつの間にか入っている。もちろんその横には私を見上げ て首をかしげるヨミがいた。 「ヨミ、ちょっと野暮用に付き合って。人に会いに行く」  灰色ヶ原町。たぶんZ404の受け渡し場所になる場所。そこの駅からだいぶ離れた住宅街の片隅に、 周囲からうとまれるように縮こまっている公園がある。昼間でも薄暗く、子どもですら遊び場に 選ばないような公園。鬱蒼とした木々の下にある公衆トイレの周りにはホームレスのねぐらがそ こかしこに設置されている。  こんなところに女が二人迷い込んだら何されるかわかったもんじゃないと思うかもしれないが、 これがそうでもない。いや他は危ないのかもしれないが、ここのホームレスのおっちゃん達は 基本的にエロジジイばっかりではあるものの、嫌がる女を集団で無理やり、という非人道的な 行為には決して及ばない。日陰者には日陰者の秩序がある、とは先輩の弁だ。  そこの一番大きな木の下、まわりに松ぼっくりが散乱している箱のひとつに声をかける。 「箱男さん」  それはダンボールの家ではなく、箱だった。箱男という名前の示す通り、箱で身をつつみそ の姿を一切露見させない。覗き穴の奥で何かが動いたように見えた。 「……レディか。こんなとこに女が二人でどうした」 「そのレディっていうのやめてもらえません?」私は頭の後ろをぽりぽりかいた。「分不相応 ですよ、貴族の娘じゃあるまいし」  箱の中からくぐもった笑い声が響いた。 「……まあ、ようこそ。何の情報が欲しい」  私も先輩と同様情報を買うことはあるが、それはたいていは先輩と同じ情報屋からだ。箱男 さんは唯一、先輩が知らない私の情報屋である。 「Z404。知らない?」 「……またか。村正と同じ件かな」 「ムラマサ?」なんだその呪われてそうな名前。 「……まあ、いい。情報料は例のごとく写真一枚。びた一枚まからん」 「……そろそろレパートリーが尽きてきたんだけど?」 「なら姫ロリにでも挑戦してみるといい。あれはいいものだ」  ……この箱男、他の人には男女問わず普通に円で情報料をもらうくせに、私の場合は何故か、 いったい何が不満なのか、金はあるっつってんのにゴスロリのコスプレ写真を要求してくる。 恥ずかしいっつーの。私は魅せることに満足を覚える人間じゃねーっつーの。だいたい衣装代 バカになんねーっつーの。こいつのせいで私の家のクローゼットには二度と着ないであろう黒 いフリフリのロリロリが4着ほど入っている。 「……それ、何に使うの? 聞くの怖くて聞かなかったけど」  再び笑い声が洩れる。不思議とキモい気がしないのは私の感覚がおかしいのだろうか。 「下卑たことには使わんさ。売りもしないし、これで一発、ってんでもない。単に資料として 保存してあるだけだ。やはり、レディの肖像としてはゴシックの世界でないとな」  ……わけわからん。変人に真面目に取り合っても無駄か。 「……悪いけど、いま写真はないの。でも急ぎの用事なのよ。こういうのって後払いはよくな いと重々承知の上でお願いするんだけど、情報をちょうだい」  箱の上に松ぼっくりが落っこちてきて、こつんと乾いた音を立てた。間抜けだ。 「……レディの頼みとあっちゃあしょうがない。それに、この件にレディが介入するのは私に とっても好ましい事態だ。協力しよう」  あれま。てっきり二枚要求されるかと思ったら。 「ありがとう。知りたいのはZ404の争奪ゲームについて。それと、女の子を半裸で拉致監禁す る理由のある組織について。私に売れるような情報はあるかしら?」 「後者は漠然としすぎてわからんが、前者はあるよ。一度売った情報だがな」 「ならまけなさいよ」 「強気なのはいいことだ。その芯を大切にな」  くえない輩だ。 「トト。これで合ってるか?」 「ええ。先を続けて」 「トトの主宰するZ404の椅子取りゲーム……普遍的無意識への扉、もしくは生成への参入権って ところか。うっさんくさいことこの上ないが……まあ、そんなのはどうでもいいさな。レディ にとって大切なのは手に取って直にさわれる現実だ。そうだろう?」 「薀蓄はいいから。先を」 「手厳しいね」箱男が箱をゆすった。「今のところ携帯を持って逃げてるのはふっつーの女だ。 一般ピープルだ。前に持ってた奴の従姉妹らしいが、前の所持者は行方不明。現実的に考えれ ばコンクリ抱いて水の底かね」 「……死者が出てるの?」 「死んだ人間の数は知らん。死んだところを見たわけじゃあないからな。だから現実的に考え れば、ということになる」  箱男さんは、まあ箱から出ないわけであるから類推でものを語ることが多くなってしまうわ けだが、それにしたってウソ・おおげさ・紛らわしい情報を売ることはない。ちょっとどころ じゃなく見積もりが甘かった。刃傷沙汰ってのは切り傷擦り傷じゃ済まないレベルらしい。 「それと吸血鬼について……聞いてはいるかい?」 「名前だけはね。ほとんど何も知らないのと同じ」 「……不届き者だね、しかし。……一連の騒動に絡んでる吸血鬼たちはトトを殺すために動い ている。ヘッドについての情報は残念ながらないよ……けどまあ、吸血鬼たちはトトに接近す るために携帯を追ってるだけだから、携帯の持ち主が協力的なら吸血鬼は特に害を及ぼさない、 と思うよ。多分」 「それ、ほんと?」 「ああいや、言いすぎた。吸血鬼ら全員が全員そうだってわけじゃないかもしれん。ただある 程度分別のつく奴なら、死体を出してめんどくさい処理をするぐらいなら手切れ金渡して携帯 を受け取った方がいろいろラクだって気付くはずだからな。賞金、確か400万ちょっとだろう? そのぐらい彼らなら無理なくひねり出せる」 「……ならなぜ前の持ち主は殺されたの?」 「……さあ、私に聞かれてもね。交渉の余地もないほど抵抗したか、あるいは……」  箱男はその箱を大きな松の木にこつんとぶつけた。人間で言うところの背中を預けた、とい うやつだ。そして箱の奥で内緒話をするような声で言った。 「殺した奴がそいつのことを好きだった、とか」 「……ナニソレ」 「レディ、あなたには経験ないかな? 好きで好きでたまらない相手をいじめたり泣かせたり ひどいことしたり……あるいは殺したり、したくなること?」 「ないわね」私は腕を組んできっぱりと言い放った。 「ないのか、ちょっと意外だな」  箱の中からごとん、とやけにでかい音がした。頭でもぶつけたのだろうか。 「例えば……そう、それって人にやらせちゃあいかんのだね。自分でやらないと駄目だし、自分 だけができないと駄目なのさ。拷問は自分の手でやらないと気が済まない。使用人にやらせる なんて三下だし、無関係の人間にやられると逆に腹が立つはずなんだ……ないかな、そういうの」 「ない」  私は外国の人に日本語の発音を教えるようにはっきりと言った。 「……まあ、いいだろう。私が知っているのは他に、吸血鬼はトトとは別の勢力であること、 吸血鬼は一応誰かによって統率されてはいるがその統率具合はけっこうバラバラでめいめいに 動いていること。ある吸血鬼のきょうだい、姉と弟だがね、彼らは前の持ち主から穏便に携帯を 受け取ろうと動いていたみたいだが、結局失敗したらしい。コトが大きくなって困るのは向こ うも一緒ってことだ」 「行動単位が大きいほど風評に弱くなる」 「そういうことだ。それから、そう、忘れるところだった、彼ら吸血鬼は単に吸血鬼を名乗って るだけじゃあない、それなりに吸血鬼してるらしい。一応、売り物持ち歩いた方がいいんじゃないか?」 「400mlで見逃してください!って?」 「そうそう」覗き穴から洩れる笑い声というのはなかなかに気味が悪い。「いまの時点で私が 持ってるのはこんなところだ。次にくるときには写真二枚持って来てくれ。売れる情報を用意 しておこう。ところで、その子はなんだね?」  先ほどからずっと私の後ろに隠れているヨミの手を握る。 「あなたには関係ないわね」  覗き穴の奥は真っ暗で見えなかったが、また笑い声が洩れだした。 「それだ。その芯は大切にな」  家に帰り、ヨミを寝かしつけた後、私は箱男さんの言ったことを考えていた。 『レディ、あなたには経験ないかな? 好きで好きでたまらない相手をいじめたり泣かせたり ひどいことしたり……あるいは殺したり、したくなること?』 「ない」  私は外国の言葉を発音するように、ナイ、と繰り返した。