K29 蒲生 啓介 ――ジャスさんがINしました 石神:( ゚Д゚)y−~~ ジャス:こんばんわw 石神:久しぶりだなw逮捕されてなかったか?w ジャス:逮捕ってなんですか! 石神:いやーそりゃあ、いつ職質されてもおかしくないからなあ? ジャス:ひどい>< ジャス:僕はそんなやましいことはしてないのに>< 石神:例え正しきを罰するとしても、それが公僕の務めだもんな、しょうがないさ。 石神:ところで、ひとつあんたに頼みごとがあるんだが。 ジャス:頼みごと? 石神:実はな、俺の部下をあんたんとこに派遣した。明日か明後日には訪ねるそうだ。 ジャス:なんです? ジャス:エエエエエエエ(゚Д゚ )エエエエエエ 石神:女だ 石神:ちょっとうさんくさい話を耳にしたもんでな 石神:あんたが関わるべき事件になるかどうかもわからんが、一応 石神:耳には入れておいた方がいざってとき困らんだろ? 石神:寝落ちか? ジャス:女って、女の子ですか? 石神:男では決してないな。かつおばさんでもない。 ジャス:ちょっと待ってくださいよ…… 石神:いや待つも何ももう行けって言っちゃったし。 石神:まー犯罪行為には及ぶなよwwww一応未成年だからなw 石神:寝落ちか??? ジャス:いや、わかりました。正義を為すためですから。 石神:ものわかりがいいなwつかいま何かやってんの? ジャス:ペットの世話を少し 石神:正義の味方がペット飼うなよww何飼ってんの? ――ジャスさんの接続が切れました  髪を乾かしているときに先輩から電話がかかってきた。 「俺だ」 「なんですか……私そろそろ寝るんですけど」 「今日言った件だが、少し急いでくれ。ちょっと向こうさんの様子がおかしい」  変態紳士の様子がおかしければむしろ普通に戻るのではないか。 「なにかあったんですか?」 「チャットしてたんだが、回線ごと切れた」  ……だから? 「寝落ちか?」 「寝落ちってなんですか。チャットしてて何か急用でもできたんじゃないんですか?」 「あのクソ律儀な奴が何も言わずに落ちるってのはちょっと尋常じゃない。家のPCイカれ たからってネカフェ行って事情説明してくるような輩だぞ?」 「あーはいはい……わかりました。とりあえず明日の昼休みに勤め先を訪ねてみます」  翌日。変態紳士とはいえ一応初めて会う人なわけだから、普段のお仕事同様きちんとスー ツで身を固め、うざったくない程度に化粧も施して彼、田代正志の勤め先である高校を訪ね た。事務員のおばちゃんに取り次ぎを頼むと、内線でもにょもにょ話した後で驚愕の事実を 私に告げた。 「田代先生ねえ、今日はお休みだそうですよ」  あっちゃあ……これは参った。先輩からは勤務先しか聞いてないし、住所となると先輩も 知らないかもしれない。ここはどうにかして聞き出すしかないか……しかし親類縁者を名乗 るには外見に不都合があるな……就職活動の途中の妹とでもごまかそうか?  などといろいろ考えていると、おばちゃんの手元にある電話が鳴った。電話口でおばちゃ んは再びもにょもにょと聞き取れないぐらいの小さい声で何事か話し、受話器を置いた。 「ええと、なんか田代先生から言伝があるそうで。職員室に行ってもらえる?」  ここで話せよ、とも思ったが、もちろんおくびにも出さない。「ありがとうございます」 と頭を下げ、適当に検討をつけて2階の職員室を探した。  応対に出たのは、グレーのスーツ姿の、どこか地味な感じのする女性だった。いじった形 跡のない黒い髪は後ろで束ねられ、小さい鼻が草食の小動物を思わせた。 「水川と申します。失礼ですが、お名前は……」 「あ、はい」まー話がいってるんだとしたらこれだろう。「石神製薬の石神ユズと申します。 田代様は、本日はお休みをとられていると伺いましたが」 「……はい」童顔の女性、水川さんはひとつ頷く。 「申し訳ありませんが、少々急ぎの用件でして、田代様のご住所を教えていただけませんか? 田代様もご存知ですので、必要でしたら電話で確認をとって頂いて構いません」  まくし立てるように言う。こういうのは見栄と勢いが大切だ。当たり前のことをやってる んですよ空気読んでくださいというオーラを放つのが何より効果的だ。  が、水川さんは落ち着かない様子で視線をあちこちにさまよわせてから、言った。 「田代先生から、住所を教えるように伝言があったので、それは構わないんですが」  そう言って、彼女は四つ折りにしたA4の紙を差し出した。受け取って開いてみると、印 刷された地図に細いボールペンで詳細な住所と丸印が書かれている。親切な人だ。 「製薬会社さん、ですよね? 田代先生、重い病気なんですか?」 「ああ、いえ」バッグに地図を仕舞いこみつつ答える。「田代様ご自身ではなく、その……」  しまった。石神プロダクションとか石神製作所とかにすればよかった。  田代様ご自身ではなく、その、ええと、なんだ…… 「……妹さん、のお薬の件で」  ビバ、口からでまかせ。 「まずったなあ」  変態紳士の家を訪ねるのは非常に気が進まなかったが、それ以上にさっきのやり取りでの ミスに気が重くなっていた。変態紳士に妹がいなかったらどうしよう。こういう小さいミス が後々ボロを出す原因になるのだ。 「ここだなあ」  水川さんがくれた地図から顔をあげる。おんぼろとは言わないが築年数二桁は固いぐらい の、二階建てのアパート。郵便受けには確かに「201 田代」という文字がある。 「行きたくないなあ」  私とて女の子である。男性の部屋に上がり込むのにはそれは大きな覚悟と心積もりがいる。 自分が何をされてもいいと納得ずくであがるなら話は別だが、そうでない場合はもしものと きの対処法なども考えなくてはならない。しかも相手は変態紳士である。とりあえずスタン ガンをバッグに、予備を懐に忍ばせてある。ちなみに予備は昨日ドンキホーテで急遽購入した。 「むしろ体調不良なら訪ねるのも失礼にあたるよなあ。これは帰った方がいいんじゃないか なあ。そうだよなあ」  ああ勝手な論理が頭を侵略する。でもねわかってるのよ。行かないと先輩に何言われるか わかったもんじゃないのよ。結局私はあのドアをノックしなくちゃならないの。それが運命 なんだもの。  行くか……腹を決め、本命と予備のスタンガンの所在を確かめてから階段に足をかける。 カン、カン、とやけに耳につく音を残して、私は201号室のドアの前に……立とうとした とき、不意にその201号室のドアが開いた。  さえない。それが第一印象だった。無精ひげが生えているわけでもないし、太っているわ けでもない、ちょっと姿勢が悪いが致命的というものでもない。服装については部屋着なん だろうし問題視しないものとする。要するに別にダメなところがあるわけではない。  それでも開いたドアを閉じようとしたところで固まっている中年の男性は、さえていなかった。 それはもはや私の限られた知識で説明できるようなさえなさではなかった。まるで、さえな いという言葉は彼を表現するために発明されたのではないかとさえ思えた。  彼はさえない。  それはもはやあらかじめ決められた世界の約束事のように、非常にしっくりときた。彼を 見ていると彼がさえないのではなくさえないのが彼なのではないかと思い始めてきた。 「……君!! 石神くんの部下かい!?」  あ、はいそうです。  と口が勝手に答えた。目の前の中年男性は肩をいからせて私の目の前に立った。 「ちょうどよかった! ちょっと君のぱんつ貸してくれない!?」  低い態勢から突き出した懐のスタンガンは最短距離を通って彼の腹部に噛み付いた。  家主を気絶させたらとりあえず家の中を調査するのがお約束である気がしたので「アッー!!」 と悲鳴をあげて崩れ落ちた家主の背中を踏み越えて部屋に侵入する。ちょっとヒールをねじ こんだけれどそれは私の踵が勝手にやったことだ。  閉め切っているのか、部屋の中は薄暗かった。男やもめにしては床にものが落ちていない。 先輩を基準にしなくてもこぎれいな方だとは思ったが、よく見ると洗濯機の上にゴミの詰まった ビニール袋がぎゅうぎゅうに押し込められている。まるで急に来客があって急いで場所を作った というような感じだ。  備え付けのシンクの横を通り、半開きになった居間のドアを開けた。  カーテンはぴっちり閉じられて照明はついていなかった。それでも、床に敷かれた布団に 誰かが寝ているのはわかった。照明のスイッチを入れる。ぱち、という音の後、何度か明滅 してから蛍光灯が部屋の中を照らす。  患者衣の上だけを、それも前を開けられた状態で、女の子が仰向けにされていた。  玄関に戻ってスタンガンを喉元に叩き付けたい衝動にかられたが、それどころじゃないの が私にはわかった。臥せっている女の子の横に跪いて唇に指を当てる。  ……よりにもよってRhマイナスか! (先輩、ごめんなさい……あれ、やります) 「ごめんね、はじめてかもしれないけど」  私はためらいなく自らの唇を噛み千切り、そのまま女の子の唇を八重歯で同じように噛み 切った。そして裂け目をこすりつけるように唇をふさいだ。  たっぷり1時間は経過しただろうか。変態田代はのっそりと起き上がり、部屋の中に入って きた。  私は入ってきた家主を睨み付けた。 「おい」明らかな不法侵入にも関わらず、家主は後ずさりした。「事情説明しろ」 「ええっと、その……」 「監禁して食事も与えなかったのか? 放っておけばあと数日で死んでたぞ」  明らかに異常な低血糖だった。3日……いや、1週間は何も食べていなかったのではない だろうか。  私とてそれほど経験があるわけではないが、こんなことは初めてだった。この女の子の血 は私の言うことを聞かないのだ。  私は血と会話することができる。その血がどれくらい疲れていて、どれぐらい不健康か、 そのぐらいなら血の巡りが良いところを触るだけで判断できる。当然、自分の血とは付き合い 長いので「ちょっとあっちいって軽く栄養補給してやってきてくんない?」と言えば「しょーが ねーなー貸し1だぜ? 今夜はレバ刺な」って感じで他人の体内に忍び込んできてくれる。  物分りの悪い血もたまにいるが、懇切丁寧に話せばわかってくれることがほとんどだ。彼ら にも彼らの事情があるわけだから。  だが彼女の血はそもそも話を聞いてくれなかった。「ごめん!ちょっとそこどいてウチの子 流れさせて!」と言っても、まるでお役所のようにつんとすまして、主人以外の言葉には耳を 傾けないようだった。  栄養分を渡そうとしても彼女の血液は受け取ってくれなかった。だから彼女の血液の許容量 を越えない範囲で私の血を侵入させ、少しずつ糖分を体全体にまわしていった。しかも彼女は どうもRhマイナスで、私の血を1mmでも戻し忘れると溶血やらなにやらが起きて大変なこと になる。だから処置にはかなりの時間がかかったし、神経も使った。処置の間ずっとディープ キス状態だったが、仕方がない。放っておけば本当に生命に関わる状態だった。  唇をなめる。懐かしいしびれるような鉄の味が広がる。 「ご、誤解です! 監禁だなんて、そんな」 「じゃなに」  変態田代にいらだちを感じてはいたが、頭の隅っこの冷静な部分は彼が本当のことを話して いると判断していた。枕がきちんと頭の後ろに差し込んであるし、毛布のはだけ方が、いかに もこの子が寝ぼけて蹴った、というような感じだった。根拠としては乏しいが、彼女はあくま で親切な態度でここに寝かせられたように見えた。 「信じてもらえないかもしれないけど、実は……」  私ははだけた毛布を戻してやり、手入れのされていない髪を撫でながら、変態田代の説明を 聞いた。 「……少女誘拐・拉致監禁の言い訳としては明らかに落第ですね」 「本当ですってば!」  一通り事情を聞いて、私は変態田代の言うことが事実であると認識していた。  悪い人に追われて逃げている女の子を保護した、という筋書きは、この症状にきわめて合致 しているのだ。  まず、一週間ほどまともに食事を摂っていない。これは血糖量からするとまず正しい。拉致 監禁しても食事ぐらいは摂らせるだろう。そして簡単なことだが、この子はお風呂に入ってい ない。変態が拉致監禁したのならその目的はすべからくひわいで淫靡なもののはずだし、だと したらお風呂にぐらい入れるはずだ。そしてプライバシーに関わることだが、変態田代がのび ている間に確認したところまだ×××は無事だった。  以上の考察からしてこの変態田代は変態ではあるがまだ犯罪は犯していない、と結論付けら れる。が、変態は変態である。処置が終わった後、変態田代が意識を取り戻す前に部屋の中を 一通りチェックしておいた。もちろん身の安全のためである。クロロフォルム等の誘拐に使用 できる劇物があるかどうかをチェックしたかったのだが、出てきたのは「セーラー戦士プリティ ムーン 第6話『ピンチ! 乙女の祈りと恋する心』」というラベルの貼られたビデオテープ等、 変態田代が変態であることを証明するに過ぎないものばかりだった。 「それで……先輩とチャットしてる間にコンビニ弁当食べさせてて、ノートパソコンの上に戻 しちゃったんですね」 「そうなんですよ。旧型だけどまだまだ使えたのに」 「まあ無理な要求かもしれませんけど」私は嘆息しつつ言う。「まともにものを食べてなかった のは察せませんか? そこに急に普通の食事を与えたらそりゃあ胃が受け付けませんよ。流動 食……は無理としてもお粥とかにしないと」 「……すみません」変態田代はうなだれる。「わりと元気そうだったから、気づかなかった」 「まあ……逃げてたところにやっと普通の人に会えて、嬉しかったんでしょうね。カラ元気も 出ますよ」 「そのときは変身してたから普通じゃなかったけど」 「はい? ちょっと最近神様の声と電波を受信してるんで聞きそびれました」  え、電波? 変態田代が聞き返してくるが無視する。 「とりあえず、この子はまずは大丈夫でしょう。簡単な点滴をしておきましたから」 「そう……助かったよ、ありがとう」 「あとで私の服を持ってきます。背丈は同じぐらいだし」心もち私より胸部が太っているよう にも見えるがそれは目の錯覚だ。「ところで、この子の所持品か何かないんですか? 身元が わかるような」 「ええと……そうそう」変態田代は立ち上がり、部屋の隅に飾ってある特撮ヒーローものの 衣装の横にある袋を漁った。これじゃなくて、とか言ってでかいバックルのついたベルトを放 り投げる。延々ヒーロー小物を投げた後、ひとつの携帯を取り出した。見覚えがあった。 「Z404……」 「ん? この子が持ってた携帯なんだけど……僕も調べたんだけどね、電池切れでさあ。僕の と充電器違うし」 「そうですか……後で充電してみましょう」  決め付けるには早計だろう。ともかく、彼女の唯一の所持品のおかげで私は本来の目的を思 い出すことができた。 「それでですね、石神から聞いているかどうかわかりませんが……」  私は「吸血鬼」に関する話を変態田代に切り出した。  正体不明の女の子を変態田代の部屋に残すことには若干抵抗があったが仕方がない。私はタ クシーを呼んで自分の部屋に帰り、下着その他の服を都合4着分ほど抱えて、待たせていたタ クシーに再び乗り込んだ。途中でスーパーに寄って食材も買わないといけない。  サイドミラーに映った自分の顔を見る。噛み切った唇の傷はまだ塞がっていない。ちくちく する。変態田代の家には鏡がなかったから、チェックできなかったのだ。  タクシーの運ちゃんは鏡に映った私を見てもこれといって妙な反応は示さない。私は腕を組 んで目を閉じた。買うものを考えないといけない。お米、ミネラルウォーター、ポカリスエット、 トリートメントなんてないよなあ、あと割り箸もないと……ビタミン剤は受け付けるかな…… 先輩に電話して聞いてみようか…… (なんでここまでしてるんだろ……)  見ず知らずの他人に?  素性もわからないのに?  何か返ってくるわけでもないのに?  わかりきっている。私と彼女の境遇はよく似ている。眷族を見捨てるわけがない。 (まずは名前を聞かないとな……喋れないんだっけ……)  私は頭の中の買い物リストにボールペンとメモ帳を追加した。