J46 サリー  警察機構というのは信頼に足る組織だ。だが、巨大な組織の力は概して、末端の事件にまでその力が及ばない。そして、機構の存在を守るためには必要悪も勿論あるだろう。それは否定しない。  だが、だからこそ、個人の正義を行う誰かが必要なのだ。  公共の利益だけに、法律というシステムだけにとらわれない、自由でそして、弱者たる「私」を守る自己の利益を度外視した【正義の使者】が。  だからこそ私は戦う。  それが絶対正義ジャスティサイザーなのだ!  この言葉を初めて聞いた時の衝撃を、田代は未だに覚えている。  何となく教師という道を選び、女子高生とお近づきになりたいなフヒヒ、サーセンw などと考えていた自分をぶん殴ってやりたくなったほどだ。  だが、現実世界にヒーローはいない。フィリップ=マーロゥのような私立探偵すらいないのだから。  ならば、私がヒーローになろう! 弱気をくじ…間違えた。  まあともかく、そういったヒーローにだ!  と、意気込んだはいいものの、一介の高校教師にそんな能力も資産もコネもその他諸々もあるわけが無い。  だからまず格好から入ることにしたのだ。ジャスティサイザーの衣装はドンキホーテに無かったので特注。ウン十万円した。ボーナスをはたいたが、後悔は無い。 ――支払った直後にプリティムーンの初回限定DVDボックスが出たときには死にたくなったが。  それはそれとして、昼は高校教師、夜は正義の使者という生活を送る中で、色々とあった。  主に石を投げられたり、警察に通報されたり、不良に囲まれたり、色々だ。  それでも徐々にではあるが《悪》の気配が分かるようになってきた。  特に、家出少女の保護なんて手馴れたものだ。  今でも覚えている。エリだかリナだか忘れたが、夜中公園で座っていた少女を家に連れて行ったこと。  あれが初めての《正義》だった。迎えた少年は兄だったろうか。ありがとうと言われたあの感覚。忘れられようも無い。  石神氏との出会いも衝撃的だった。あれはヤのつく自営業の人間からある男性を保護する仕事だった。本格的な《悪の組織》との戦い。怖かったが、満足のいく仕事だった。  その後、彼から様々な情報を交換し、夢見た正義とは少し違うが、着実に悪を懲らしめてこれたと思う。  彼には感謝しても仕切れない。だから、彼の頼みならば《悪》でない限りなんでも聞こうと思っていた。  その結果が、スタンガンだ。 「アッー!」  思わず叫んで倒れた。  起きたらいきなり「事情説明しろ」と汚物の様な扱いで問われた。一通り事情説明したその後で石神の使い――ユズ――は一旦帰っていった。  しばらく家出少女(後でヨミという名前だと分かった)と二人でいたのだが、話しかけても無視されるし  ここは女の子同士で話をさせた方がいいと思って一言「寝てていいよ」と声をかけて部屋の片付けを始めた。  といっても、ゴミ袋はまとめてしまったし、後残っているのは洗濯と掃除機くらいなものだ。  まずは掃除機をかけることにする。ヨミが来てから――来る前からもしばらく――掃除機をかけていない。さすがに不潔な環境は彼女も嫌だろう。 「ごめん、ちょっと掃除機かけるね」  一言断って窓を開けると、オンボロ掃除機が騒音を立てて起動する。  普段はなかなか気づかないが、意外と汚れているものだ。明らかに大きなゴミを吸う音をたてて、部屋は綺麗になっていく。  それも終わって、ついでに洗濯もしてしまおうと、いつもの癖で服を脱ぐ。上半身を脱いでしまって、そこでヨミと目があった。 「あ。ご、ごめん。君がいたことすっかり忘れてた。あの、えーっと……そうだ!  君も服脱いじゃアッー!」  その日二度目のスタンガンがきた。  起きたらまた変態を見る目だったので、とりあえず事情説明をした。  疑わしい目ではあったが、何とか信じてくれたらしく、ほっとした直後二日酔いと脳震盪が一緒に来たような気持ち悪さを覚えて、ともかくトイレで吐いた。  思う存分吐いた後、室内を見るとユズが誰かと電話で話していた。  ヨミと目があったが、無視された。仕方が無いので、そこらへんにあった服を着て外へ出る。  しこたま吐いたら空腹になっただけであるが、携帯の充電器も買わなければいけない。ユズは着替えと食事を持ってきたものの、田代の分がそこには無かった。 ――大人ぶってても、意外と抜けてるな  まるで学校の生徒の様だと苦笑をもらす。勿論、彼の分をわざと持ってこなかったのかもという考えは無い。  外は暗くなりつつあり、傾いた夕陽が町並みを頼りなく照らしている。  コンビニに着くと、中には見慣れた顔が何人かいた。そのうち一人は生徒だったが、こちらを見ると何やらあわてた様子で目を逸らし、そそくさと店を出て行ってしまった。 ――あれ。立花って言ったっけ? 万引きするような生徒でもないし、外で僕と会ったのが気まずいだけかな  何となくユズを思い出す。そういえば、彼女も高校生くらいの年齢に見えたが、普段は何をしているのだろうか。  気にはなるが、あれこれと問い詰めて高校に行けなどと説教するのは《正義》ではない。  いずれ彼女が話してくれるのを待てばいいかと判断してお気に入りのハンバーグ弁当と充電器、  そして、プリティムーンの食玩を買い、コンビニを出た。外はもう暗い。  家に戻ると、ユズが何やら難しい顔をしてうつむいていた。ただいまと声をかけると、彼女ははっとしてこちらを見上げ、 「田代さん、この子……ヨミのことですが、どうなさるおつもりですか?」と尋ねた。  正直、保護してからのことはあまり考えていなかった。そう言われると困るが、女の子を男やもめの家に置いていくのも気がひける。そう正直に言うと、 「私が引き取りましょうか? 女同士ですし、幸い、二人ぐらいならなんとか住めるぐらいの部屋を借りていますから」と、申し出てくれた。  それはありがたい。喜んでお願いしたいと申し出ると、彼女は「ただ」と付け加えてきた。経済援助くらいならしようと思っていたが、そうではない。  「その代わりというわけでもないのですが、先ほど話した『吸血鬼』の件について、調査していただけませんか。石神は、田代さんに話せば調べてくれると言っていました」  それは確かに自分の仕事だと、田代は神妙にうなづいた。だが、情報は結局ヨミに聞かなくては分からないと告げると、彼女は肩を落とした。  田代は「それでね」と一言おいて、袋から買ったばかりの充電器(1980円)を取り出して、ユズに示した。  無駄かもしれないけど、やってみる価値はあると言うと、彼女は頷いて早速適当なコンセントを引き抜いて充電を始めた。  ビデオの時計が消え、そういえば録画をセットしていたな、と思ったが、それを口に出すとまた冷たい目で見られそうだったので何も言わずに、買ってきた弁当にとりかかった。 「……だめですね、どうも会社から支給された携帯ってことぐらいしか」    がっかりしたようにユズがつぶやく。 ――それならネットで調べればいいのに…  田代はハンバーグを咀嚼したまま、その旨を伝える。 「そこのクローゼットのどこかにサブのノーパソあるから」    彼女はクローゼットを開けてノートパソコンを取り出すと、田代の言うとおりネット検索を始めた。しばらく画面とにらんでいたが、結果は芳しくないようだ。弁当を食べる手は 休めないままヒットの有無を聞くと、首を横に振る。間違いない。 「やはりね。その携帯、‘悪’のにおいがする。たぶんその会社名は全部ニセモノで、何らかの悪の組織の連絡先なんだろうね。とはいってもそこから直にたどれるわけでもないけど……」  ユズが目を丸くして田代を見つめる。それには気づかないふりで、田代は言葉を続けた。 「さて……ならその番号のどれかに電話かけてみるかな。でもこのへん公衆電話ないからなあ。後回しにしようか」  田代は最後に残ったポテトサラダを飲み込んで、「そういえば石神さんは元気?」と尋ねた。  言われた彼女は先ほど以上に目を丸くしていたが、すぐに我に返ったように「はい」と答える。 ――あまり場数は踏んでないな  今の反応で確信する。田代の知っている石神は一言で言えば「抜け目の無い男」だ。今までいくつかの仕事をしてきて、それは分かっている。  だが、彼女はどうだろう。下手をすれば石神の正体をばらしかねないほどに「抜け目」だらけだ。一体、彼は何を考えているのだろう。 「そういえば、詳しい話を聞いていないのですが、先輩とは、どういったご関係で?」 「うん?」  二人の関係を考えていて、一呼吸反応が遅れる。だが、これで彼女が何も聞かされていないことは分かった。 ――いや、だけどフリってこともありうるからなぁ  女は怖い。平気で嘘をつく。あの清純で大人しそうな水川だって、教頭と不倫しているくらいなのだ。  「前に、悪の組織と戦ったときにちょっと協力してもらったんだよ。それからちょくちょくこういう‘悪’に関する情報を流してもらっている、ってところかな」    とりあえず、正直に答える。嘘はつかない。それが田代のポリシーだ。だが、その言葉にユズは呆れた様な表情を浮かべる。  本当に何も知らないようだ。そう確信して、また先ほどの謎が湧き上がる。なぜ、石神は彼女を派遣したのだろう?  と、そのとき無機質な電子音が狭い部屋に響いた。二人は顔を見合わせて、自分の携帯を確認する。その二つともが沈黙しており、すぐに答えが出た。ヨミの携帯が鳴っているのだ。   「……どうします?」  ユズが探るように問いかける。田代は腕を組んで携帯を見つめていたが、その番号を見て表情を堅くした。 「出ないんですか?」 「うん。出ない。この番号、見覚えあるよ。やばい。やばすぎる」  田代の口調があまりに真剣だったので、ユズは口を閉ざした。しばらく電話は鳴っていたが、やがて沈黙する。  またかかってくるかもしれないと緊張したが、杞憂ですんだ。田代は安堵したようにため息をついて、残っていたお茶を一気に口に含む。 「誰だったんですか?」 「誰って?」 「電話の相手です。知っている、って言ってましたよね」 「ああ…」  顔をしかめて、田代は携帯を一瞥して、「ゴンザレスの大冒険」と一言だけ言った。ユズは本日最大の呆れ顔を浮かべた。