I69 富士出月  村正が吸血鬼から逃げた時まで時間はさかのぼる。  屋敷倉庫、その地下室。銀次郎は、妻と息子の仇と対面していた。 五所瓦組組長、五所瓦・ニコラ・銀次郎は、椅子に座っていたクリシュナの目を見るなり呟いた。 「あいつが殺されるわけだ……」 この屋敷につれてくる前に、クリシュナの指は全て折られていた。ゴンザレスシャツが、銀次郎が指示していたとおりの行動をとっていた。 戦闘能力を奪うためだけではなく、恐怖を与えるためでもあったこの指示は、前者の役目しか果たさなかったのを銀次郎は理解した。 写真の印象とは全く違う、殺人を繰り返した者のみが持つ狂気を孕んだ瞳。それは、そばかすやメガネとは全くの不釣合いであった。 銀次郎はかつて一度だけ、イタリアに行ったときに同じ眼を持った人間を見たことがある。その時銀次郎が頭に浮かんだ単語が、また浮かび上がる。 「人の形をした化け物」。そんなファンタジー小説にしか出てこないような単語だったが、他に形容し様が無かった。 「おっちゃん」 クリシュナが口を開く、指の痛みも、恐怖も感じない、普通の女の子の声であった。 「僕が何をしたか知らないけどさあ、少しやりすぎでないかい?」 おどけたような、人を少し小馬鹿にしているような口調である。 「クリシュナ、だったか?お前に聞きたいことがある」 感情を押し殺した声で、銀次郎が尋ねる。 「一月前、白い携帯を持っていた女を覚えているか?」 5秒にも満たぬ沈黙の後、クリシュナは答える。 「あーあー、あのおばさんか。僕もあの携帯が必要だったからさぁ、頼んでも貰えそうに無かったから殺しちゃったんだ」 「……では、2週間ほど前、人を一人殺さなかったか?」 クリシュナは少し考えた後、思い出したように頷く。 「もしかして、健って人?」 「知っているのか?」 「うんにゃ、全然。ここに来る前にガタイのいい兄ちゃんもそんな質問してきたからさ。悪いけど覚えてないや」 クリシュナは嘘は言っていない。銀次郎はそう確信していた。根拠は、やはり彼女の眼であった。 日常に、殺しが入っている者が、いちいち殺した人間を覚えているはずが無い。 智代を殺したのを覚えているのも、「携帯を持っていたから」と言う理由があったからだろう。 「もしかして、その人おっちゃんの子供?じゃあごめんね。多分殺しちゃったよ」 「許さんよ。お前は殺す。その前に色々聞きたいことがあるからその後にだけどな」 湧き上がる殺意を、ありったけの理性で押さえ、銀次郎は淡々と答えた。 「おー、こわいこわい。」 それを知ってか知らずか、クリシュナが軽口を叩く。 「まあ、いいよ。で、何が知りたいの?」 まるで他人事のように喋るクリシュナに、銀次郎は怒り以上に、恐怖に近いものを感じた。 他人はおろか、自分の命もなんとも思っていないような口ぶり。 それは既に、人生を諦めたような人間が持つそれを思わせた。 「お前が奪った携帯だが、なんで他人に預けた?お前が自分で持っているほうが安全じゃあないのか?」 「預けた?」 「言った端からとぼける気か?お前が2人組に携帯電話を手渡したのを見た奴がいるんだ」 「……ああ、そうか、だから家に帰ってこなかったのか」 クリシュナの声が急に暗くなる 「おっちゃん。そのウエイトレスは僕だけど僕じゃないよ」 「……なんだって?」 銀次郎はクリシュナの言ったことを少し考えた後、尋ねた。 「双子ということか?」 「惜しい、少し違う」 「お前と謎々をするつもりはない。さっきの言葉の意味はなんだ?」 少しの沈黙の後、クリシュナが尋ねる。 「逆に尋ねるけど、おっちゃんは、このゲームどこまで知ってるの?」 「……何も。そもそもゲームに参加していたのは妻と息子だ」 それを聞き、クリシュナは、にやりと笑った。暗いものが含まれている笑みだった。 「そうかー、おっちゃんは何も知らなかったのかー」 「……どういうことだ?」 表情を崩さぬ銀次郎を見て、クリシュナはまた笑う。 「教えてあげるよ。このゲームと、そして僕について、ね」 クリシュナは話し始めた。このゲームの全容、賞品、そして、クリシュナとウエイトレスのことを。 クリシュナの話を、銀次郎は表情一つ変えずに、黙って聞いていた 全て聞き終えると、銀次郎は口を開いた。 「……で、お前はその技術の結晶。人造生命体と言う事か」 五所瓦健の推理は、半分は当たっていた。推理の「想像を創造できる力」。これは半分は当たっていた。 「とっておきの秘密」とは、人造生命の技術、技法の事だった。 「ちなみに、あのレストランで働いているウエイトレスは、僕と同じ姿をしているけど、ちゃんとした人間だよ。まあ、オリジナルって奴かな?」 「それはホムンクルスじゃなくてクローンじゃあないのか?」 「そんなことまで知らないよ。僕を造った人に聞けば?」 「……トトか?」 「何が?」 「お前を造った奴だ」 「さあ。気付けば居たからね。どこかの廃ビルに」 どうして廃ビルに居たのか、どうして作られたのかはクリシュナにも解らなかった。 その後、クリシュナは吸血鬼に拾われ、吸血鬼の一員となった。 吸血鬼との出会いは本当に偶然だったのか、それは吸血鬼の、一部の人間しか知らないことである。 「ついでに言うと僕のオリジナルに会えたのは本当に偶然だよ。おかげでたまにアリバイ作りが出来たり、身を隠すことができたりと、役に立ったよ」 「……知っていることはそれで全部か?」 銀次郎が口を開く、相変わらず無表情だが、声は、さっきまでの声とは違っていた。 「……そうだよ。もう話すことは無いね」 クリシュナは、大きく息をつくと、また笑った。さっきのような暗い笑顔ではなく、どこか、さびしげな表情だった。 「……じゃあ、お別れだ」 銀次郎が呟く。それと同時に、銃声。 1発、2発、3発。 弾丸はクリシュナの体を貫いた。 クリシュナは椅子から崩れ落ちた。 「急所ははずしてある。だがもちろん助ける気はない」 銀次郎が淡々と語りはじめる。 「中々面白い話を聞かせてもらった。まるでSF小説を読んでいる気分だったよ」 うつ伏せになっているクリシュナを、仰向けにさせ、クリシュナの額に照準を合わせる。 「だが、生憎、今この現実はSF小説ではなく、面白みのない復讐劇なんだ」 クリシュナの服が赤く染まる。 「そして、さらに残念なことに、この復讐劇の作者はヘボでな。殺される奴の生い立ちや、秘密を解決する気は全くなく、むしろ速く終わらせたがってるんだ。全て「知ったことか」で済ますことにしてな」 もはや殺意を押さえようとはしていなかった。 「「とっておきの秘密」も、お前が人造人間だという事実も、私にとってはどうでもいい事だ。私がやるべきことは、貴様に血の償いをさせること。それだけだ」 ヒュウヒュウと、息を吐きながら、クリシュナが口を開く。 「今度、生まれて、来る時は……」 言い終える前に、銃声が鳴る。 「言ったはずだ、速く終わらせたがっていると……」 額を打ち抜かれ、クリシュナは、死んだ。 「なあ、兄貴」 五所瓦の屋敷で、組員が二人、話をしていた。 兄貴と呼ばれた男が舎弟のほうを振り向く。 「なんだ?」 「俺、この組に入ってまだ日が浅いんで、わからないことが多いんですが、特に気になってることがあるんスよ」 兄貴と呼ばれている男は、以前村正に、コートと、「土産」を渡した、いい声をしている男だった。 「だから、何だ?」 「よく、うちの組に「ゴンザレスの大冒険」って書かれたシャツを着た人たちがいるじゃあないスか」 「ああ、そういえば言ってなかったな。あの人達はな、まあ、解りやすく言えば、裏の仕事人だ。解りやすく言えば、死体処理や、尾行、拉致とか、影で動く連中だな」 「いや、それはわかってるんスよ」 「要領を得ねえ奴だな、じゃあ、何がわかんねえんだよ?」 「俺が言いたいのは、なんで「ゴンザレスの大冒険」ってシャツを着てるのか?ってことっスよ」 「ああ、そっちか」 頭をかきながら兄貴分の男は言った。 「お前、あのシャツかっこいいと思うか?」 「いえ、全然」 「うちの組のモットーは?」 「確か、「伊達と任侠」ス」 「つまり、「伊達じゃない」ってことさ。奴らの格好も、仕事の中身もな」 2人が話していると、ゴンザレスシャツを着た2人が、でかい袋を持って、倉庫に向かって行った。 「……仕事のようっスね」 何を入れる袋か、容易に想像できた。2人は、お互い顔を見合わせながら、そそくさとその場を離れた。 「イタリアからペピーノを呼んだ。明後日には着くはずだ。それまで、袋詰めにして、保管しておけ」 2人は指示通りに動き、嫌悪の表情すら浮かべず、クリシュナの遺体を袋に入れた。 「本当かどうかは知らんが、こいつには戸籍がないそうだ。だから遺体を渡すだけで良い」 イタリアマフィアが遺体をどのように処分するか、2人はそれを聞かなかった。 五所瓦は、指示を出し終えると、携帯電話を取り出し、高梨ヒロキに電話をした。 内容はクリシュナのその後と、五所瓦組はゲームから降りるという内容だった。 「見つけてくれたせめてもの礼だ、君のお姉さん探しには協力させてもらうよ。何か必要なものがあったら言ってくれ」 高梨ヒロキは今一番必要なものを言った。 「包帯と傷薬お願いします」 次に村正に電話をしようとしたが、中々電話に出ない。 20回以上かけたが返事がない。銀次郎は電話をかけるのをやめ、待つことにした。 待つこと1持間。電話が鳴った。村正からだった。 銀次郎は、クリシュナを捕らえたことと、クリシュナが喋ったことを全て話した。 村正は村正で、真実に近付いていたようだ。 電話を切り、自分の部屋に戻る。 健が残したノートを読む。理由はない。 パラパラとページをめくるが、内容が頭に入っていなかった。 時計の針の進みが、遅く感じられた。 銀次郎が静かに呟いた。 「智代、健。終わったよ」 もう戻ってこない最愛の2人を思い出し、目頭が、熱くなった。