I65 富士出月  この事件に関わって、まだ1ヶ月どころか、半月も経っていない。 にもかかわらず、事件は異様な密度の濃さと、異様なスピードで、俺に襲い掛かってくる。 殺し屋に殴られ、現実離れしたキーワードがポンポン出てくるヤクザがらみの依頼を受け、そして今、雇い主が捜していた女が目の前にいる。それも服に血のシミを付着させて。 目が合った。ウエイトレスはあわてて目をそらす。 ここで思い出す。向こうは俺の事は知らないのだった。ゲームに使われている携帯は、機種こそ古いが、今でも使われている物だ。 怪しまれる要素は、今現在の俺の状態位しかない。俺がゲーム参加者だとは考えてもいないだろう。 ウエイトレスが少し距離をとりつつ、俺の横を通り過ぎて行った。少しだけ張り詰めていたものが緩む。 「…聴いているのか村正君?」 そういえば電話中だった。 「何かあったらまた連絡をよこす。吸血鬼の件もあるし、なるべく人通りの多いところを選んで移動したほうがいいぞ」 ―――はい。わかりました。それでは失礼します。 そういい、電話を切り、携帯をポケットにしまった。 さて、ここで一つ問題が浮かび上がる。それは、「俺はどう行動すればいいのか?」という事だ。 このままウエイトレスを尾行するか、報告するか、尾行しつつ報告するか、いっそのこと話しかけてみるか。 話しかけるのは少し躊躇われる。レストランでの会話を思い出してみる限り、彼女も吸血鬼に何らかの関わりがある。つまり、まともじゃないと言う事だ。 そもそも組長の息子を殺したのも彼女のようだし、おまけについさっき吸血鬼のメンバーの大男に殴られ体のあちこちが痛く、まともに動ける自信がない。下手をすれば殺される可能性もある。 と言うわけで、尾行しつつ、報告することにした。しかし、若い女性のあとをつけ、懐に拳銃、ポケットには盗難品の携帯。俺の服にはあちこち血が着いている。警察を呼ばれたら下手をすれば社会的に死ぬ可能性があるが。 組長に電話をするため、携帯を入れたポケットに手を伸ばす。ポケットをまさぐりつつ思い出す。ポケットの中には同じ機種の携帯が複数個あることに。 …またやってしまった。自分の携帯も一緒にポケットに入れてしまい、また区別がつかなくなってしまった。 俺もドジだな。そうのんきに考えていたが、数秒後、自分のドジと、タイミングの悪さが非常に憎くなった。 着メロがなった。ゲームに使われているのと同じ着メロが。 ウエイトレスが凄い勢いで俺の方を振り向く。 ウエイトレスの目に映っていた俺は、ポケットから3個の同じ機種の携帯を取り出していた。 マナーモードにしておくべきだった。そう思ったが、後の祭りだった。 また目が合った。違いは、今度は目は逸らされなかったことと、通り過ぎていったはずの彼女が俺に近付いて来る事だった。 「あの……、すいません」 怯えた表情と声で俺に話しかけてきた。 「えぇと、その、あなたが持っている携帯のことなんですが」 やはり彼女はウエイトレスだったか。灰色の服を着ているからウエイトレスではないのでは?と思ったが、彼女も四六時中ウエイトレスの服を着ているわけではないので当然か。 ―――ああ、これですか?さっき道端に落ちていたので拾ったんです。今から警察に届けに行くところなんですよ。 嘘は言っていない。大男が倒れる際に落とした物を拾ったのだし、この携帯はおそらくゲームに使われているものではない。持っていても無意味なものだ。 完璧な言い訳だったが、ウエイトレスはそれで納得はしなかった。 「……本当ですか?」 ウエイトレスが怯えと、疑いのこもった眼で俺を見つめる。 「あなたも、参加者なんですか?」 駆け引きも糞もなく、単刀直入だった。 ―――参加者?何の ことでしょうか?と言う前にウエイトレスが言葉をさえぎる。このやり取りに少しデジャヴュを感じた。 「とぼけないでください!そ、そんな2個も3個も同じ機種の携帯電話が落ちているはずがありません!」 思ったより大きな声だ。 「お願いですから返してください!この携帯はあなたが思っているより危険な物なんです!」 何があったかはわからないが、ウエイトレスから切羽詰ったものを感じる。あのレストランで金を渡した2人組と、何らかのトラブルでもあったのだろうか。 ―――呪いでもかかっているのか? この軽口はわざとだ。彼女は今、頭に血が上っているようだ。色々と新しい情報が得られるかもしれない。 「……この携帯を狙っている連中がいるんです」 知っている。 ―――悪の秘密結社か? 「吸血鬼です!」 それも知っている。ついでに言えばさっきキツイ挨拶をもらってきたところだ。 ―――そりゃ大変だ。明日から餃子三昧だ。 この軽口のあと、彼女は急に押し黙った。 「……お願いです。返してください」 問答は無駄と考えたのか、彼女の目から怯えが消え、変わりに射抜くような光が目に宿っていた。頭に血が上りすぎているのか、人格が変わっている。 少しやばい気配を感じた。具体的に言えば襲われる感じがしたのだ。俺は作戦を変更することにした。 ―――わかった。返すよ。 「へ?」 驚いた顔で変な声を出し、俺を見るウエイトレス。 「……な、なんで急に?」 ―――その代わりと言ってはなんだけど、少し俺の質問に答えてくれるかな? 別にこの携帯を彼女に渡しても、何のデメリットもない。この携帯はゲームに使われているものでもない。多分だが。 顔を見られた以上、尾行もおそらく不可能だろう。 こうなった以上少しでも多くの情報を得るべきだと言う結論に達した。 ―――誤解しているようだが、俺は一言も「返さない」と入っていない。俺の目的は携帯じゃあない。ある人の依頼で、ゲームに関わっているある人間を探しているだけなんだ。 ちなみにその人間には、君も含まれている。とは言わない。言うわけがない。 ―――君の話し振りから察するに、それなりに情報を持っているようだから、それと引き換えなら、この携帯を渡そうじゃあないか。 あえて上から物を言う。根が気弱な人間には有効な手段だ。 「……本当に返してくれるんですね?」 彼女も冷静さを取り戻したようだ。またオドオドとした彼女に戻った。 俺が頷くと、彼女も頷き返した。交渉成立のようだ。 やはりゲームに関しての情報は、俺が知っているもので全てのようだ。 しかし、賞品の「取って置きの秘密」についての情報は、本日一番俺の思考回路をぐちゃぐちゃにかき回した。 ―――……はぁぁぁぁ? 今まで出した事のない声を出してしまった。人間、未知の遭遇をすると新たな発見があるものだ。 「本当なんです!う、嘘じゃありません」 彼女はたぶん嘘を言っていない。……いかん。だいぶ感覚が狂ってきた。こんな話を信じてしまうなんて。 信じたくない。俺は漫画か、B級映画の世界に迷い込んだような錯覚に陥った。 ―――確かに、「とっておき」だな。人の命がかかっていてもなんら不思議じゃないな。真実ならね。 「で、ですが……」 ―――ああ、わかってるよ、嘘は言ってないんだろ? 信じたくない、認めたくない、嘘であってほしい、夢であってほしい。 だが、それはさておき、思いがけない収穫だった トトに関する情報が手に入ったことだ。 なぜ持ち逃げした技術を賞品にし、わざわざ身を危険にさらすのかは疑問だが、トトを見つける手がかりが手に入ったのは幸運だった。 しかし、俺が真に知りたい情報は、「取って置きの秘密」に関するものではない。 ―――まあ、それは置いといて、ここからが本題だ。 俺は一時、さっきの話を頭の隅に追いやった。 ―――聞かせてもらう。「クリシュナ」ってのは誰だ? その単語を聞き、ウエイトレスは顔色が変わった。 「な、なな、なんであなたが……!」 ―――君が携帯を誰かに渡したとき、俺はその場に居た。あの時君に話しかけた背の高い女が言っていた「あなたの事だというのは、既にこちらで調べがついている」と。 「わ、私、知り」 ―――知りません。とは言わせない。ついでに、私とは関係ない。とも言わせる気はない、あの時の君の口ぶりから察するに、知っている上に、何らかの関わりがあるはずだ。 「……知りません」 ウエイトレスの顔が青ざめていた。声も震え、今にも失神しそうだった。 「知りません!「クリシュナ」は私じゃありません!お願いです。信じてください!」 必死に「クリシュナ」との関係を否定するウエイトレス。しかし、こちらも「はいそうですか。」と行くわけには行かない。 ―――言ったはずだ。「知りません。とは言わせない」と。悪いがこちらも必死なんだ。絶対に喋ってもらう。 しかし、それでも、ウエイトレスは口を割らなかった。 「知りません。知りません。許してください、お願いです……!」 涙を浮かべ、ウエイトレスは否定する。どうやら、聞き出すのは容易ではない様だ。 あの時ウエイトレスが言った言葉「“アレ”は私の事じゃない」。そして、「取って置きの秘密」。 ふと考える。これら二つは、結びついているのではないだろうか。 そもそも彼女は、なぜこんなにも、このゲームに詳しいのか。そしてどこで吸血鬼のことを知ったのか。 高梨ヒロキの姉はあの時こういった「あなたたち「も」、吸血鬼どものイヌかしら」と。 この「も」の中には、あの二人組みが入るのだろう。ではこのウエイトレス、彼女はどうだ? 組長の話によれば、組長の息子を殺したのは、彼女のようだ。しかし、本当に彼女だったのだろうか? 彼女に、人が殺せるとは到底思えない。根拠は、今、俺がこの場に立っていることだ。 もし、彼女が吸血鬼に関係する人間だったら、ズタボロに弱っている俺を躊躇い無く殺しているだろう。組長の息子を殺したときのように。 高梨ヒロキの姉は彼女を「クリシュナ」と断定していた。 「調べがついている」と言っていた。つまり、顔写真か何かを手に入れた。と言うことだ。 逆に言えば、彼女が「クリシュナ」だと言う根拠は、顔のみ。と言うことである。 つまり整形手術でもすれば、誰でも「クリシュナ」になれる。と言うことだ。 しかしそれに何の利点がある?わざわざ人を殺すのに彼女の顔になる理由がある? 罪を被せる為、と言うのは少し薄い。と言うのも、吸血鬼は殺し屋組織だ。それも有名な。 規模は知れないが、組織全員が彼女の顔と言うのは、ありえないことだろう。 つまり、吸血鬼と、彼女の接点は、ほぼ無いと言うことだ。多分だが。 では彼女はどうだろう? ここで気付いたが、彼女の素性はほとんどが謎だ。ウエイトレスと言うこと以外は。 そこでもう一度思い出す。 なぜ吸血鬼を知っているか? なぜゲームを知っているか? そして、なぜ「取って置きの秘密」を知っているのか? 頭がこんがらがってきた。頭をかきむしる。 瞬間、閃く。 ―――もしかして、「クリシュナ」の正体は……! そう途中までいい、口を閉じる。 なぜなら、馬鹿馬鹿しいにもほどがある上に、これを言ったら、このイカれたゲームに、心まで毒された気になるからだ。 ありえない、ありえない!ありえない!! 俺は必死にこの考えを頭から追い出そうとした。 しかし、この推理は、正解だった。 俺のポケットから着メロがなる。 彼女に「失礼」と断りを入れ、携帯を取り出す。 彼女がそれをじぃっと見ている。 ―――これは、俺の携帯だ。 そう断りを入れ、電話に出る。相手は、やはり組長だった。 しかし、組長は、いつもと様子が違っていた。嫌な予感が俺を駆け巡る。 「村正君。もうあの女を捜す必要は無くなった」 嫌な予感は的中したようだ。 ―――……捕まえたんですね?彼女、「クリシュナ」を。 俺と、組長の会話に、ウエイトレスは、最初、自体を飲み込めないようで、目を丸くしただけだった。 その後、捕まえた経緯や、「クリシュナ」の「その後」、そして今後の話をし、電話を切った。ウエイトレスは、放心したように、その場に座り込んでいた。 電話を切ったあと、俺は笑った、笑うしかなかった。あまりにも現実離れした推理をし、しかもそれが正解だった。 もう、これは茶番だ、ただの馬鹿話だ。 「クリシュナ」の正体は、ウエイトレスのホムンクルスだった。 ―――それはホムンクルスじゃなくて、クローン人間だろうが! 思わず叫んだ。突っ込み所はそこじゃないと言うのはわかっていた。