I45 富士出月 「飲めば出る」。俺が酒の席でトイレに行くとき必ず浮かぶキャッチフレーズだ。 かたぎの人間がヤクザの屋敷で酒に酔い、トイレを借りるなんて事はなかなか無いだろう。 俺は体からアルコールが抜けるのと同時に、ヤクザが関わる珍事件に足を突っ込んだことを改めて自覚した。 主役にはなりたいが、バッドエンドは趣味じゃない。 慎重に事を運ぼう。そう決意し、ズボンを下ろし、便座に座る。 あのマルゲリータは美味かった。 普段ろくなものを食べていなかったので、ここぞとばかりに詰め込んだのは少し恥ずかしかった。 トイレから出ると、下っ端の男が俺のコートと、土産だろうか、何かの包みを手渡してきた。 「この包みは自宅に帰るまで決して開けぬようお願いします」 洋画の吹き替えで主役が張れるくらいのいい声だった。 ―――中身は玉手箱かい? まだ酒が抜けきってないのか、思わず軽口をたたいてしまった。 「いじめられている亀を助けることができるものです」 ノリのいい男でよかった。包みは思ったより重かった。 どうやら本当に玉手箱のようだ。しかも火薬の匂いをする煙の出る。 日は暮れかかっていた。酔いを醒ますため、歩いて帰ることにした。 というより、屋敷と俺の事務所の距離はそう遠くは無かった。 最寄の駅から徒歩20分。事務所から屋敷まで大体30〜40分でこれるような距離である。 帰り際に俺の後から来た客人のチンピラ風の男に呼び止められた。 名前は高梨ヒロキというらしい。 親分に連絡と顔合わせをするよう指示されたらしい。 アドレスを聞いたので、携帯に登録をすることにした。 携帯を取り出す、開く。 待ち受け画像が別のものに変わっていた。 計ったようなタイミングで俺の携帯が鳴り出す。着メロまで変わっていた。 …この曲はベートーベン。だったと思う。 電話ではなくメールだった。しかも組長。五所瓦銀次郎本人からだった。 メールの内容を要約するとこうだ。 俺の所持している携帯が「ゲーム」に使われているのと同じだったので、待ち受けと着メロをゲームの携帯と同じ設定にした。 場合によってはこれを利用し、本物とすりかえるチャンスがあるかもしれないので、変更しないように。 との事だ。電話帳を見てみる。 アドレス帳に組長の携帯のアドレスと、五所瓦組の番号。そしてこいつ、高梨ヒロキの番号が登録されていた。 その後、俺はこの高梨ヒロキと様々な情報交換をすることにした。 と言ってもこの男も俺と同様、ゲームについてさほど詳しくは無い、と言うより俺と同じく巻き込まれただけのようだった。 ―――なんでこの事件に? 「姉が「楽して金をもうけられる」話を持ち出して、それの片棒をつがされる羽目になった」 姉?ああ、あのスーツ女の事か。 ―――で、その姉さんはこのゲームに関して何を知ってるんだ? 「聞く前に行方不明になった」 結局、何もわからないのと同じと言うことか。 しかし、その女がこのゲームの事を俺やこの男、そして五所瓦組より詳しいのは確実だ。 事件の謎を解くために、高梨姉を探すのは重要事項だ。 その後、高梨ヒロキから、一枚のメモを受け取った。パソコンのURLが書かれてあった。 いわく、夢子と言うゲームの村人Aみたいなやつが管理しているサイトで、様々な情報が得られるそうだ。 情報屋か。 ―――値段は? 「ピンキリ」 ピンだろうとキリだろうと余計な出費はできない財布事情だ。 とりあえず、馴染みの情報屋を尋ねて、収穫が得られなかった場合、その夢子と言うやつを訪ねてみよう。 俺は高梨ヒロキと別れ、帰路に着いた。 五所瓦組と、俺の事務所兼自宅。その真ん中に、俺のなじみの情報屋は住んでいる。 住んでいるというか、住み着いているというか。 俺は公園に足を踏み入れ、茂みの奥へと向かっていった。 居た。あっさり見つかった。 ―――おい、「箱男」。聞きたいことがある。 「箱男」。名前の由来は文字通り、箱で体を覆い、生活してる男だ。 何でも、好きな小説の人物の真似だとか。 タイトルと作者名は忘れた。アガサ・クリスティーではないことは確かだ。 「村正か、ようこそ」 陰気な声と箱ののぞき穴の奥で、目が妖しく光る。 こうしてこの俺、村正竜作は日常の生活から落ちていくこととなる。