I28 富士出月 俺が甘かった。こんな得体の知れない事件に関わってそう簡単に手を引く事なんて出切る筈が無かった。 俺が依頼を断る旨を告げ、店を出て五分も経たなかっただろう。 大通りを歩いていると俺は背後に急に人の気配を感じた。 そして小声で「止まれ」と一言声をかけられた。 背筋が凍り、嫌な汗が噴出し胃が痛くなった。口が渇き、唾が飲み込めない。 走って逃げる。それも不可能そうだった。 背中に「ゴンザレスの大冒険」とプリントされた服を着た小柄な男が俺の退路を断っている。 歩みを止めた。首筋がチクっと痛くなった。 目の前が真っ暗になった。 気づけば俺は車の中に乗っていた。 目隠しもされず、手足も縛られていなかった。 しかし体が妙にだるく、何をするにも億劫だった。さっき首筋に注射された薬のせいだろう。 俺が目を覚ましたのに気づいても、俺を拉致した男たちは特に何をするわけでもなくただ無言だった。 それからどのくらい経っただろうか。 薬が切れたのか、さっきまであった体のだるさが消えていた。 しかし体のだるさが消えると、今度は恐怖が蘇ってきた。また胃が痛くなってきた。 何か問いかけてみるべきか?そう考えていたら車が止まった。 そしてさっきの声、今度は「降りろ」と一言。 車から降り、最初に目に入った建物は、日本の古きよき屋敷だった。それもかなりでかい。 次に入ったものは表札だった。そこにはこう書いてあった。 「五所瓦組」と。 入り口をくぐる。和風の屋敷にはとても似合わない黄色いレンガの道があった。 「私の父はこの家業が嫌だったらしくてねえ。私の祖父がまだ現役だった頃家出をしたんだ」 生ハムを食べながら俺の依頼人だった男は楽しそうに話している。 「家出した先がイタリアで、そこで一人の娘と恋をした。もちろん私の母のことだよ」 外見が和風だったのに、内装はイタリアンだったのには驚いた。 俺は依頼人と一緒に食事を取っていた。さっきサンドイッチを食べたが、いろいろなことがありすぎて空腹になっていた。 「しかしその後が面白い!実はその娘、つまり私の母の家業も我々と同じだったのさ」 ワインを一口。美味い。 本格的なイタリアン。美味い酒、最高の食卓だった。 向かいの相手が女で、なおかつ後ろにスーツのシルエットを台無しにする物を懐に入れていないタフガイが3人もいなければだが。 「母の家はナポリを拠点としていてね。知っているかい?ナポリのマフィアのことをカモッラというんだよ」 以前俺に睨んだだけで人を殺せそうな鋭い眼光を放っていた男は同一人物とは思えないほど陽気だった。 「それを知った父は逃げ出そうとしたんだが、ナポリの女は情熱的でねぇ。父を捕まえたその足で日本へ私の祖父へ挨拶に向かったんだ」 その後五所瓦組とナポリマフィア「ジャコモ一家」は熱い友情と血で結ばれた。というわけである。 「伊達と任侠」。それが五所瓦組とジャコモ一家のモットーらしい。 「伊達と任侠」。まさにその言葉はぴったり当てはまっていた。 今にもゴッドファーザーのテーマが流れそうな内装と組員。しかも組員は全員スーツを着ているが、角刈りの男が多かった。 食事を終え、葉巻を吸いながら依頼人、五所瓦・ニコラ・銀次郎は依頼の話を口にした。 「村正さん。この依頼を断る。ということはすでに我々が今行っているゲームのことを御存知だということだね」 先ほどの食事のときとはまるで別人だ。小柄な体から組の頭たる風格がにじみ出ている。 「まあ断るのも無理はない。しかしその前に聞かせていただきたい。どこまで知っているのかを」 俺はファミレスでの話をすべて話した。 トト、満月の夜、携帯電話、とっておきの秘密と、少しばかりの賞金。そして吸血鬼、クリシュナ。 話を終えると五所瓦組長はため息をついた。長い沈黙が続く。 「村正さん」 長い沈黙を組長が破った。 「何で私がこの仕事を依頼したか分かるかい?」 ―――それは、携帯電話の位置を調べ、奪うためだったのでは? 「違うんだ。本音を言うと私はこんなくだらないゲームに関わりたくなんか無かったんだよ」 組長から悲しみの色が浮かんでいる。 「しかし、関わらざるを得なくなったんだ。敵をとるためにね」 ―――敵? 「私がこの女を捜させたのは携帯が目的ではなく、この女自身だったんだよ」 先ほどの悲しみの色がだんだんと消えうせ、別の色が組長を包む。それは憎悪の色だった。 そして次の一言で、その憎悪を爆発させた。 「そう!携帯を奪うためにわが息子と妻を殺し、我々五所瓦組の顔に泥を塗ったこの女を始末するために!」 空気が震え、部屋が一気に寒くなった。 浮気調査ですか?と尋ねて睨みつけられた意味がよくわかった。 …と、まあこれがこの俺、村正竜作のゲームに参加した理由だ。