H78 わわわ 人気のない校舎は、ただそれだけで不安を掻き立てる。 賑やかな生徒達の代わりに、曖昧な影がそこかしこを歩き回る黄昏時ともなれば尚更だ。 だが、放課後の教室に一人佇む土井はその場に良く馴染んでいた。 蒸し暑くなる前の季節の、纏わり付く熱を持った空気に。辺りを滲ませる赤い色に。 「殺されそうになったばっかりていうのに、一人で危ないですよ」 「今更、一人だから?わざわざ御忠告しに来たの?」 「まさか、そんな暇じゃないんで。用がなきゃ来ません」 「見てのとおり帰るところなの、何?」 「お話したい事があるんです、15分位いいですか」 土井は返事も、頷きもしないが手にしていた荷物を降ろし、机に腰掛ける。 不承不承だが、話を聴く気はあるらしい。 「手短に話すから、極端な意見になりますが、  人が人を殺す時って邪魔だからっていうのだけが理由だと思うんですよ。  憎けりゃ一思いに殺してしまって、楽にしてやる理由もないですし。  で、毛利先生が先輩を邪魔だと思った理由はなんだろうなと考えると、  許されざる間柄ある先輩に恋焦がれるあまりもう先輩の事を考えることが辛くなった?」 一応、問いかけてみるが、土井は冷ややかな視線を返すばかりだ。 仕方が無いので、勝手に話を進めることにする。 「先輩に対する、ここ一年の不思議なストーカー行為の犯行者が毛利先生と確定された今なら、  彼がなんで先輩に執着したのか説明できるんです。  ストーカー行為の内訳は意味の分からない手紙を寄こすだけ。  しかも自宅の郵便受けに直接投函され、宛名のみ書かれたもの。  脳内の妄想で完結してしまってる可能性もなきにしもあらずですが、  普通は自分の行為に対して何かしら反応が返ってきて欲しいものでしょ。  なのに、送り主の名前も住所もない。これが嫌がらせなら至極同然のことですが、そうではない。  なぜか?これは彼にとって相手が自分の名前も住所も知っているのが前提での行為だから。  そういえば佐藤の妹が学校の怪談をテーマにしたアニメを異常に怖がるんで、不思議に思っていたんですけど、  どうもそのアニメの舞台の小学校の構造が、その子の通っている学校と全く同じらしいんですよ。  学校なんてどこも似たり寄ったりだと言って、宥めたんですが実はそうじゃなかった。  そのアニメの脚本家は、生まれてずっと地元に住み続け地元の小学校に通い、中学校を卒業してこの高校に入学して、  先輩と同じように文芸部に入った。図書室の卒業後活躍している卒業生のコーナーにこの脚本家のインタービューやら色々ありました。  佐藤の妹と同じ小学校に通っていたんだから同じで当たり前ですよ。  そして次に、俺が入学してから耳にした毛利先生に関する噂は大体似たり寄ったりで、奥さんに逃げられた、  奥さんが自殺した等、ここ一年で伴侶を失くしたという噂が大半です。そして、その奥さんはここの卒業生で  脚本家として活躍していたというおまけつき。  短絡的ではありますが、結論として毛利先生は彼の奥さんと先輩を混同しているのではないか」 「……細かいことを置いておいたとしても、本当に短絡的ね」 「まあ、先輩が俺が何を言いたいのか知っているのを前提に話してますから。  続けますが、数居る文芸部員の中からなぜ先輩を選んだのか。  まず、毛利先生も奥さんと同じく、この高校の文芸部に所属していた。  部室にある過去の遺物を漁っている時に、当時のお二人の作品と思しきものも見つけました。  それと一緒に二人がやり取りしていたというより、毛利先生が奥さんに傾倒していた事が伺える  手紙も発掘したんですよ。その一つがこれです」 クリアファイルに挟んだそれを渡すと、土井は一通り目を通した。 しかし、すぐに不審な眼差しと共にそれを返す。 「先輩に届いた手紙と似てますか?」 「出来損ないの詩みたいな、意味のない文章が書かれているだけと言う点は一緒。  私に届いていたのは、プリントアウトされたものだから筆跡までは知らないわ」 「そうなんです、毛利先生の担当教科は国語なのに彼自身は才能の欠片もなかった。  奥さんの詩に意味を込めるというアドバイスを文字通り受け取った結果がこれです。  所々、縦読みの文章を混ぜようとして行き詰って最後は尻きれトンボ。  自分が出来ない分、彼はますます奥さんにたいして盲目的になっていった。  そこで、先輩と細君の共通点は何だったか?雰囲気や、顔は写真を見る限り似てなかったです。  それは文芸コンクールに出した詩が全国大会でも賞をとった。  毛利先生にとってそれは、人間の価値の象徴なんです。  俺ら一年も、入部の時に、入部したからには賞を取れって嫌みったらしく言われましたからね。  既存の文芸部のほぼ全員が何かしら賞を取っていますが、先輩は賞を取った時期が悪かった。  当時、依存先を失った毛利先生は仕事に支障をきたすレベルの精神不安を起こしていた。  結果、心労ということにされて免職されはしないものの、三年生の担任の任を下ろされている。  そして、かつての依存先と同じ条件を満たす先輩を見つけた。」 「つまり、私が付きまとわれたのはとばっちりだと言うこと?」 「はい、それが前提です。そして、毛利先生の先輩に対する興味は先日まで続いていたことになります。  なのに、ある時以降ぱったりストーカー行為は止んでいる。それは先輩は髪を切った時期と一致している  為にそのお陰だとおっしゃっていましたが、俺は違うんじゃないかと思ったんです。   興味が逸れたのではないなら、興味が満たされた。  つまり、先輩はストーカーの犯人を知り、なおコンタクトをとりはじめた。」 「何でそうなるのかしら?」 「種明かしをすれば、毛利先生のブログを見つけたんです。  もちろんSNSのように、個人情報を公開しているわけではないですが、奥さんについて調べていたら  引っかかりました。相変わらず支離滅裂な文章に見えますが、要所要所は正確です。  奥さんの文章の素晴しさを称えつつ、それが表れない脚本の仕事には不満を抱いていたみたいです。  ログを読んでいると、奥さんを失った日からの荒れようは酷いもんでしたが、ある日いきなり前の文体に戻ります。  日記の内容は奥さんと食事をした。  そんなことはあり得ないんですよ、奥さんはすでに亡くなっているから。  学校の怪談のアニメはそのお蔭もあってか、子供向けの内容のわりにカルト的な人気があるそうです。  今は脚本家の一人が失踪したなんて噂が立って盛り上がってます。  まあ、それは置いといて、この写真」 土井は写真を一瞥しただけで、腰掛けている机に叩きつけるように置いた。 「普通、髪が長い人間が髪を短くしただけでも印象的なのに、その髪が一瞬で伸びるなんて考えませんよね。  今は、カツラじゃなくてウイッグですか?女は化けるって言いますけど、毛利先生と一緒に居るのは先輩ですよね?」 「悪趣味」 「ごもっとも。価値がある無し関係なく、人が見たれたくないものを見るためだけけに存在してる奴もいるんです。  さて、先輩はなんで毛利先生に近づいたんでしょうか?」 「ご想像にお任せするわ」 「まあ、期待はしてませんでしたが。恋心ではなく、何か利用価値があったと推測しています。  立花が携帯を失くした時に、生徒でなく教師が犯人ではないかと言っていました。  結局、田代先生が怪しいと騒いでましたが、教師が実行犯と言う点は当たりだった。  実行犯と計画犯が異なるという基本的なアリバイ作りとして毛利先生を先輩は利用した。  立花の携帯なんか何に使うか知りませんが、用済みになった携帯を校内の落し物容れに突っ込んで置けば  いいのに、外部に持ち出したところからしても、アドレス帳からランダムに電話をかけているところからしても、  やたら念を入れて撹乱したがっているのが分かります。  何なら川にでも放り込めばいい携帯をエサに立花を利用したのは、立花を隠れ蓑にしたかったというところでしょうかね。  なのに、先輩はここに来て自ら動き出した。こんなに回りくどくやってきたのに。  それは、目的が後一歩で達成されるから焦ったからでは」 その時、土井の携帯が鳴った。 「お気にせず、どうぞ出てください」 「電話じゃなくてメール」 「ああ、すいません。おうちの方が心配してますか」 「……」 「げーむおーばー?」 「……あなた、それを確認したかっただけね」 「ご名答。自分でもよくまあ、ペラペラしゃべったと思いますが、別に先輩が何をやってようがどうでもいいんです。  俺に火の粉が飛んでくるから踏み消しに来ただけなんで」 「一つ聞いていいかしら?」 「どうぞ」 「竹下君は日本人?」 「……あー、戸籍上は。髪が赤いのは地毛です」 「そう。聞いてみたかったんだけど、突っ込みずらくて。あと同性愛者じゃならいなら、佐藤君に対して過保護過ぎると思うわ」 「もー、おっそーいー」 「ユタ、立花さんが素麺に山葵はありえないって…」 ジュンと立花の二人が、人の気も知らずまた気の抜ける会話をしている。 今日は、立花が福引で当てた家庭用流し素麺機の試運転を我が家でするために、材料を買ってから一緒に帰る事になっていた。 「汁は甘くして鶏肉と油揚げ入れて、ネギいっぱい入れるの」 「それじゃニュウメンじゃないですか」 「付けて食べるから、違うもん」 「平和デスネ」 「はぁ?竹下君大丈夫?」 「階段の最後踏み外した気分」 「何それ」 「うーあー…そうだ、ジュンが着ればいい。そうだ、それぐらいしてくれてもいいと思う」 「何を?」 「女装はアンバランスな程価値があるらしいよ。よかったな」 「え?」 「何それ、体育大会の出し物?」 「そうそう」 「やだ」 「俺も嫌だよ」 「私着てもいいよっ!」 「立花、一応女だろ」 ED:H「へいわがやいちばん」