E51 寿 気持ちを落ち着けるには、まず深呼吸。誰が言い始めたのかは知らないが、どうやら私はパニック時に自然と実行できるくらいに信じていたらしい。 吐息が震えていた。今鼻歌でも歌えば不自然なビブラートがかかってくれる事だろう。 椅子にぐったりとして縛られている青年をチラ見する。  …落ち着け。私。 困った時には、自分の行動に優先順位をつける事にしていた。私はそういう奴だったハズだ。 まず、目的はなんだ? …ええと、そうだ。この部屋に盗聴機を仕掛けて、その分の報酬をもらう。安全に。←これ大事! 安全ってのはつまり誰にも見つからずに帰還する事で、そのためには速攻で任務を終えて現場を去るべきなのだ。  私はコンセントのカバーをこじ開けるべく、パーカーのポケットからマイナスドライバーを取り出した。  この仏さん(?)には悪いが、私は刑事コロンボではないし、フィリップ・マーロウでもコンチネンタル・オプでもない。  ただのアルバイトだ。事件の解決が目的ではない。  主人公である彼らと違って身の安全も保証されていないのだ。  コンセントカバーを外し、壁の裏側に盗聴機を設置する。  任務完了だ。  早々と立ち去らせていただく事にしよう。 「悪く思わないで」と呟いたのは罪悪感からだろうか?  そしてこの場所にはしばらく近づかない。これで万事OKである。 後で救急車でも呼んでおいた方が良いかな……などと考えながら、出入り口のノブに手をかける。 一仕事終えた達成感と、ほんの少しの後ろめたさを感じていた。  ハードボイルドな心持ちを気取って、浸っていた。  そう。この瞬間だけ、私はかの青年を血まみれに仕上げた犯人の存在を忘れていたのだった。 開いた扉の前に、顔を真っ赤にして目を見開いている少女を見るまでは。  自分の体がピタリと止まっているのがわかる。 「ちわーっす。三河屋でーっす」 などと言う通じそうにない冗談でも言おうとしてみたのだが、ビブラートと言うにはあまりに情けない声しか出なかった。 「ちわーっす」までしか言えなかった。 今回の話にタイトルをつけるとしたら、こんなところだろうか? 「登山は山を下りてウチに帰るまで!」