E5 寿 「はぁ?」  我ながら間抜けな声だったと思う。が、こんな話を聞かされては仕方無い。 「悪くない話でしょう?」  それが本当の話なら、だ。たった一日働いただけでそんなにお金がもらえるなんて。  そんな話がゴロゴロ転がっているのなら、私は大学に行けたかもしれない。  「そんな話」を持ちかけてきたのは、目の前に立っている、背が高く、黒髪の長いお姉さんだった。  うらやましいとは思うけれど、怪しい人だとは思えなかった。  いや、そんなにホイホイ人を信じてはいけない。これも詐欺の手口の一つかもしれないじゃないか。悪いけれど、そんなにウマイ話を信じられるほど私は純粋じゃないのだ。アメに釣られて誘拐される幼女なんかと一緒にされては困る。  おじさんがアメをあげよう。…いらんわボケ。 「?」  見ず知らずのお姉さんはキョトンとしていた。何でも御座いません。 「時間はそんなにかからなくても、それって結構人手が要るんじゃないですか?」  話が大掛かり過ぎやしないか、という意味で言ったつもりだ。 「だから、こうやってあなたに声をかけてるんだけどな。善は急げ、だよ」  にしても、正直うさんくさい。考えどころだ。  ところで、どうもこのお姉さんは急いでいるらしい。どことなく、落ち着きが無い。 そういえば、人を騙す時、相手を急がせて判断力を奪うのは常套手段だとか。テレビが言っていた気がする。  断ってしまおうか、と考えていると、 「じゃあ、気に入ったら駅前のファミレスに来てね。出来るだけ、早くね!」  そそくさと行ってしまった。他の人にも声をかけるのだろう。下手な鉄砲数撃ちゃ当たる、ということか。  街中にポツンと取り残されてしまっていた。こういう場所で急に話す相手が居なくなると、なんだか寂しい気分になるのは気のせいだろうか。  スーツに身を包んだサラリーマン達が闊歩していく。  人通りも良いし、ファミレスのある駅前はもっとだ。お店も多い。付近には建物が綺麗な私立の高校だってある。  どこか雇ってくれても良い雰囲気だと思うのだけれど。  目の端に映った廃ビルが同情してくる様だった。  こんなに人がいても、やはり不景気なのだろうか。  本当の話なら、と思ってしまう自分がやるせない。 「ちょっと、君!」  ふいに、後ろから肩をつかまれた。今度は何だ。 「学校はどうしたんだ」 「…はい?」  警察官らしき人だった。制服を着ているから、おそらく。見たところ40歳くらい。  そういえば、今日は平日だった。きっと補導員だろう。平日と休日があることも忘れてしまいそうだ。  補導される身分では無いのだけれど、どうも苦手だ。 「こんな所で遊んでちゃダメじゃないか。名前は?」 「き、岸辺ユカ」  ほら見ろ、ドモったじゃないか。 「どこの学校?」  と、お決まりの文句。  これだから低身長は困る。もしくは、この古着としま○らの融合ファッションがいけないのか。ブランドを買う余裕なんてウチの家計には無いぞ。  昨年度、何事も無く高校を卒業したのだが、いかんせん我が家に大学に行くお金は無かった。女は大学に行かなくても良い、との父親の言葉もあって就職することにした。  したのだけど、内定が決まらなかった。何かを呪いたくなったが、じゃあ何か、と考えると案外思いつかない。強いて言うなら社会? 青臭いな。  しかたなく、バイトを探しに来たという訳だ。まずコンビニで情報誌を買うつもりだったんだけどな。  かくかくしかじかと事情を説明すると、 「え、19歳? そうか…」 納得してくれたようだ。  そうなんです。というかまず、驚いてくれるなよ。この落ち着きを見てくれ!   落ち着きと、あと、そう、雰囲気だ。雰囲気が違うはず。少なくとも中学生には見えないはず。  中学生にさえ見られなければ、義務教育は終了したのだから放っておいてくれるんじゃないか、と思っていた事もあったが、どうやらこの国では高校生くらいでもしっかり補導してくれるらしい。  警官は、顎に手を当てて俯いていたが、やがて顔を上げて、 「強く生きるんだぞ!」  と、多少ズレているんじゃないだろうかと思える台詞と共に見送ってくれた。  ひと段落。  こんな時、何て言えばいいのだっけ?  顎に手を当てて考えてみた。   「やれやれだぜ」  窓ガラスに映ったチビ助が、似合わないよと嘲っていた。  そうだ、どうせプー太郎なんだ。嘘っぱちだとしても、困りはしない。  お金が貰えたら大学に行ってしまおうか、なんて考えつつ、アメに釣られてふらふらと歩き出した。