D50 hanger いつもの消波ブロック。いつもの澱んだ海。いつもの灰色の空。いつもの奇妙な訪問者。 いつものように不機嫌な少女が毒を撒き散らす。またあの夢だった。 「受験だかなんだか知らないけれど、病床で暇を持て余す私をこうも放置出来るものなのかしらね、あの自称親友のヤリマンメガネは。 おかげですっかり無断外出常習者じゃない。別に寂しいから言ってるんじゃないけど、せめてあの魚のソーセージだけでも届ける気概は見せて欲しいもんだわ」 どこで拾ったものか、長い枯れ枝を持って水面をかき混ぜながらつぶやく少女に、その場にいたもう一人の人影が何やら尋ねる。 「──────」 「……そのこと、あなたには教えてないはずよね」 感情が表に出やすいわりに表情自体はほとんど変化しないという妙な特徴のある彼女が、珍しく険悪な目つきになって  を睨んだ。 「まあいいけど。答えは却下ね。そんな食事メニュー程度の些細なことでも強権振るったりしたらますます腫れ物扱いされるでしょ。 というか、まるっきり子供がわがまま言ってるみたいじゃないの。そんなことでいちいちあたふたする大人を見るのも情けない気持ちになりそうだし。 大体、病院の所有権なんて書類上のことで、別に私が誰に何を出来るってわけでもないでしょうに、全くどいつもこいつも……」 長い黒髪が潮風にそよぐ。ろくに手入れしてないのか、絹のような艶があるなどとはお世辞にも言いがたく どこか野良猫じみた野暮ったい印象があった。顔を覆わんとする毛を払いのけながらぐちぐちと不平をこぼす少女に  が何やら問いかける。 「──────」 「だからぁ、魔法使いの婆さん気取りもいい加減にしてよ。切り捨てたいものは山ほどあるけど、欲しいものなんて私には無いの。 余命?あの銭ゲバどもを喜ばせるのは癪だけど人様にすがり付いてまで伸ばすほどのものでもないと思うわ」 達観しているのか強がっているのか、いつもの無表情に戻った彼女はそんなことを言った。 眼下の海面には木の枝が浮かんでいる。攪拌に飽きて手放したらしい。 「くだらないおとぎ話をする前に、まずソーセージの一本でも調達してこれないものかしら。 ヤリマンメガネのカバンの方がよっぽど魔法っぽいじゃない。というかせめて花の一本でも持ってくるのがお見舞いのマナーってものでしょ」 かと言って本当に花を持ってきたとしても、彼女は受け取ると同時に海に放り捨てるだろう。 本人も自覚しているのか、皮肉げに口を歪める。それに答えたわけではないだろうが、 そいつはいつになく辛辣な、皮肉めいた言葉を投げつけた。 「──────」 「……そうかもね。何も求めるものが無いってことは死んでしまったのと同じことなのかもしれない」 それきりお互いに黙り込む。しばらくそのままの凍ったような状態が続いたが、 遠くで霧笛が響いたのをきっかけにしたように  が動いた。 立ち去ろうとするそいつの背中に少女は声をかける。 「あ、ねぇ」 わずかに上ずった声だった。歩みを止めた  が振り向く前に、彼女は尋ねた。 「さっきの、その、おとぎ話ね。それって、胸とかおっきくできる?」 鉱山都市タチネコから北、国境の町へと続くバビンスキー街道を半ばあたりまで進んだところの街道脇にハラキリ神殿はあった。 かつて存在していたとされる古代文明の栄華の象徴として名高い史跡であったが、先の大戦の折に徹底的に破壊され 今となってはその美麗にして荘厳な威容など見る影もなく怪物の跋扈するただの廃墟と成り果てている。 戦略的にはほとんど価値の無いこの場所がなぜこうも徹底的に破壊されたのか?そもそも一体誰がそれを為したのか? この土地の由来には幾多の謎があったが、そこに住まう醜悪な魔物たちを殺して回るのが生業の欲深な冒険者たちには関係の無いことだった。 今日も今日とて彼らは黙々と化け物たちと切り結び、アイテムを拾い集め、ときたま仲間の誰かが新たな力を得たときだけ 4〜8バイトほどの祝福の言葉をかけるというようなストイックな営みを続けている。 そんな修羅たちの中に私も身を置いていた。正確には私の分身、美形の魔剣士パエリアが、である。 パエリアはハーフエルフで、その出自からヒトにもエルフにも忌み嫌われて育った。 その為か他人に対してはある程度の距離を置いて接することが多く、一見ひどく無愛想であるが 自然と音楽と紅茶と平和と平和憲法をこよなく愛し、助けを求めている人を決して放ってはおけないという優しい心の持ち主である。 きっと素直じゃないだけで本当は寂しがり屋なのだ。いや、私じゃなくてパエリアのこと。 あと本当は左利きなのにある人と出会ってから右手で剣を持つようになったとか(システム上右手にしか武器を装備できないのでこういうことにした) 過去に何かあったせいで教会やその関係者を信用してないとか、色々と考えた設定があるのだけれど、その辺は今は秘密にしておこう。ちょっと恥ずかしくなってきたし。 さて、そんなパ……えっと、パ、パ……なんだっけ。 ともかくそんな彼は、戦士としてはまだまだ荒削りで成長途中であるが、その成長速度は常人の比ではない。 追加課金による経験点ブーストと高性能な課金装備を用いて本来のレベルでは太刀打ちできないような敵を倒しまくる鬼レベリングとの相乗効果の賜物であるが、 何よりモノを言うのはプレイ時間である。この手のゲームのキャラの強さはクリック数=労働投下量に比例するのだ。 きんゆーとかなんとか小賢しいシステムで歪んだ資本主義社会とは違って、純粋に労働のみが価値をもたらす正しい世界がそこにはある。 血売り女にパソコンを与えられるとすぐに隣家の無線LANにただ乗りしてネットに接続、 こっそり財布から抜き取ったカードを使ってアカウントを取得し課金オプション特盛でゲームを開始して以来 あの女の目の届かないときにはずっとレベル上げに励んだ成果が今のパ……パタ……パタリロ?の強さなのであった。 満身創痍で神殿地下から這い出した我がパンゲア君は 行きずり同士でパーティを組んでいた便器みたいな名前の奴と適当な挨拶をして別れてから 最寄のベースキャンプへと引き返して、そこで一旦ログアウトした。 そのままクライアントソフトを閉じてパソコンの電源を落とすと、 意識が現実の肉体へと引き戻されたように全身が倦怠感に包まれる。 私は痺れた足を伸ばしてなんともなしに天井を仰いだ。 主に目と指しか働いていないのに疲労は体全体で感じるとは、理不尽極まりないが、 それが人体にとって都合がいいことだというのであれば甘んじて受けねばなるまい。 と、そこで疲労感以外の感覚を腹部に覚えた。次いで消化器官が収縮しながら悲鳴を上げる。そういえば今日は朝から何も食べていなかった。 こういう時は同居人に空腹を訴えればすぐに食事が用意されるという素晴らしい物理法則があるのだけれど、あいにく今部屋にいるのは私一人きりである。 保護者面したこの部屋の主は私が目覚めたときには既にどこかへ出かけてしまっていたのだ。 普段は色々と世話を焼いてきてうっとうしいことこの上ないのだが、いなければいないで不便なものだと思った。 せめて食事の用意くらいしてから出かければいいのに、まったく気の利かぬ女だ。 時刻は正午を少し回ったくらいだった。 私は本能を原動力にして立ち上がり、ふらふらとした足取りで冷蔵庫まで辿り着くと中を改めた。 ……が、食べられるものは何ひとつとして無い。少なくとも料理が出来ない人間にとっては生肉も生野菜も食品ではないのだからして。 絶望して半ばやけくそになり、いっそ鶏卵でも飲んでみようかと思った矢先にテーブルの上に置いてあるものに気がついた。 それを眺めながらしばらく思案するが、今にもおなかの中で市民革命が起きそうな気配を感じ取った私は選択の余地など無いと判断する。 当たり前だけれどその選択とは、そこにあった書置きと紙幣を口に入れて咀嚼し飲み込むなどという、ゴートスピリッツ溢れるものでは決して無かった。 未開人やヤギにもわかりやすく説明すると、紙幣には交換という役割があって、 それを用いて調理された食品を得るべしというようなことをあの女は書き置きに記しており、私はその案に条件付きで賛成したというわけだ。 さて、調理品の購買を行うには外出せねばならないのであるが、私は部屋のドアを開ける前にまずクローゼットを開いた。 この行動の意味を未開人やサルにもわかりやすく説明すると、文明人は外出する場合は必ず衣服を着用せねばならず、 まぁ外出しない場合もおおむね何かを身に纏っているのだが、現在の私の格好は外出するにはやや不十分だったと判断された、 ということなのだけれども、この辺りの概念は非常に難解なので詳しくは語らない。 わざわざクローゼットを選んだのにも理由があった。 普段の私は私専用とされる衣服が納められているカラーボックスから着用するものを選んでいるのだが、 そこはかとなく階級差別のにおいを感じないだろうか。だってカラーボックスとクローゼット、高級感では圧倒的に後者だ。 高級感のある入れ物には高級感のあるものが入ってることくらい、子供でも想像がつこう。そしてそのクローゼットは事実上あの女専用となっている。 これは不平等ではなかろうか。そう、搾取階級のいない間に身分による服装差別にこっそり反逆してやるつもりなのである。これは聖戦なのだ。 私は期待に胸をときめかせながらhangerを掴んで衣服を引っ張り出した。 なんかすごいの出てきた。 確かに言われてみれば支配階級チックというか、搾取階級チックというか、えと、フリフリのあたりが特にそんな感じだけど。 どうしよう。いや、これ、ホントにどうしよう。 もっとも、どうするかなど本来は考えるまでもないことだった。当然だが、服は着るものである。あの戸を開け放ったときに覚悟は出来ていたはずだ。 すごいのを手に持ったまま固まる私に、私の中の冷静な部分が囁く。たかが昼食の調達にこんなものを着てどうするの。 無論、囁き程度では人の意思など変えられるものではなかった。