D41 hanger 駅前のハンバーガー店は、おおむねいつも暇人で賑わっている。 街で唯一の24時間営業店舗で、また唯一の二階建て店舗でもあるこの店は 広々としたゆとりのある食事スペースを有しており、くつろぎながら食事の出来る場として老若男女問わず幅広い客層に人気があった。 もっとも提供されるメニューは全国津々浦々に疫病のごとく広まっていった他のチェーン店と 何ら変わるところのないごくごく普通のファストフードとソフトドリンクばかりであり それらの味わいをじっくりと堪能しに来ていると言うよりは、 ご近所の奥様たちと談笑することだとか二軒隣の本屋で買った文庫本を読みふけることだとか 耳栓をして試験勉強に集中することだとか行き場が無くなった深夜になんとなく集まって時間を過ごすことだとか そういうことの方に熱心な客が多いように思える。別段妙な話でも無いのだろうが。 (耳栓使い以外はな) わざわざ騒がしいところに来ておきながらそんなものを使うというのはどういう了見なのだ。 せめてヘッドフォンあたりにしておけよ、などと心の中で見知らぬ他人に説教しつつ 紙の容器に刺さったストローをくわえてアイスコーヒーを吸い上げる。 舌に突き刺さる異様に甘ったるい味に顔をしかめてから、ガムシロップを入れすぎたことを今更ながら後悔した。 せめて3個くらいに留めておけばよかったのに、苦笑いする店員に芽生えた反骨心からカウンターで受け取った5個全てをコーヒーに突っ込んだのだ。 連れが窘めるのを無視して強行した手前、意地でもこの糖尿になりそうな黒い液体Lサイズ分を飲み干さなければならない。10分の1も飲んでいないのに早くも胸焼けを覚えていた。 その連れの方だが、注文したラム肉バーガー、フライドポテト、カタパルト式シェイク、そのいずれも口に入れずひたすら話を続けている。 「……つまりこういうことッス。多種多様な亜種亜流が乱れ飛び、一見錯綜してるように見えるその噂に共通しているのは────」 夕暮れ前のこの時間、店内には放課後をもてあました学生と思しき者どもの姿が多く見られた。 自分と目の前の後輩もその類であったが、私服校なのでひょっとしたら周りからは学生と認識されていないかもしれない。だからどうということでもないが。 口からストローを離すと、扇動家よろしく熱っぽい調子で語り続ける少女の容姿を、パーツごとに、つぶさに観察する。 いつもかけている分厚いメガネだけ見るならいわゆるガリ勉の印象が強いだろう。文学少女に見えるかもしれない。 週に3回は着ている、上下共にブルーのトレーニングウェア姿からは運動系の部活に所属しているのだろうかと思われそうだ。 両者を合計すると、少なくとも外見には無頓着なタイプなのだろうと推理できそうだが、 髪はやたら明るい色に染められているし耳にはピアスが光っている。 (姿格好ってのが常に内面を表す記号ってわけでもないんだろうが) 制服を着ていれば学生というわけでもないし、着てないから学生じゃないというわけでもない。 いくら透明の甘味料をぶち込んだところでアイスコーヒーは黒々として苦味を連想させるような姿だけは保ち続けている。 その程度のことなのだろう。もっとも──── (こいつがヘンな格好なのは、ヘンな奴だからだっていうのは、まあ正しいんだろうな) 「……センパイ、聞いてるッスか?というか聞いてないッスね!?冷めたポテトほど不味いものは無いのになぜ手をつけないんだとか関係ないことばっか考えてる顔ッス!」 「聴いてるよ」 鈍いようで鋭いのか、鋭いようで鈍いのか、微妙な推察を持ち出すそいつにおざなりな反論をする。嘘は言っていなかった。 「いいや嘘ッス!むしろ問い詰めてもヒアーとリッスンがどうのと陳腐な詭弁を言いだしそうな空気ッ!まぁもし聞いているというのなら自分が今したお話の要約を……」 「多種多様な噂の共通点は、主に二つ。トトとか言うヘンな名前の奴が関わっていること。Z404という古い機種の携帯電話が話の核になっていること」 俺が涼しい表情で即答するとそいつは悔しげに顔を歪めた。 「うう、絶対聞いてないはずなのに……絶対『どの辺がカタパルト式なんだよ』とか突っ込みを入れてる顔だったのに……あ、その前!その前にした話は!」 諦めずに食いついてくる後輩────今川に泰然とした師匠キャラの目を向けると、彼女は明らかに動揺した様子を見せた。 無論、容赦するつもりなど無かったので、先ほどこいつがやたら長々と語っていた都市伝説を簡潔にまとめて告げてやる。 「お前が仕入れた噂で一番新しいのは『同じカラーのZ404を7つ集めると願いがかなう』っていう奴だっつーんだろ。馬鹿馬鹿しいよなホント」 実際笑う気にもならなかったが、少なくとも口の端を歪めるポーズは出来た。 それこそ無意味な記号かもしれずとも、たまには生意気な後輩にどちらが強者かということを分からせておく必要がある。歯を見せるというのは本来威嚇行動なのだ。 「あう、あうあう。そうッスその通りッス」 観念して頭を下げる今川を見下しながら飲むアイスコーヒーは胸焼けするほどひどく甘美だった。 が、これ以上いじめても面白い反応は得られそうもなかったし、勝利の味は長く楽しむには少々くどすぎたので カップをテーブルに置き、とりあえず件の噂話の方に会話の水を向ける。 「いるのか?」 「え?あ、そ、そんな。い、い、いないッスよ!もちろんフリーッス!年上の落ち着いたタイプが好みッスけど……あ、年上って言っても1個か2個上あたりの身近な男性がいいかなーって、具体的にはその」 そんなどうでもいいことを聞いているのではなかったので、最後まで聞かずに話の流れを修正させる。 「いや、噂のことだよ。そんな荒唐無稽な話の数々を信じてるような奴はいるのかって」 今川は一度紅潮させた顔を夕方のアサガオみたいに萎ませて、なぜか涙目になりつつ低テンションで言葉をつむぎ始めた。 「えー、いないんじゃないッスかねー。なんかー、最後のやつとかー、そんなマンガがあった気がー。あー、あー、うあー」 「だよな」 納得しかけたとき、少し離れた席で歓声のようなものが聞こえてその場にいた客の半分程度がそちらに目を向ける。 それとなく様子を窺うと、制服姿の高校生4人がテーブルの上に同じ機種の携帯電話を5台置いてはしゃいでいるのが見えた。 思わず今川と顔を見合わせる。 「なあ、アレって」 「ベッコーの制服ッスね。アホのにおいがぷんぷんするッス」 それだけ言い合うとどちらともなく沈黙して、二人そろって会話を盗み聞くことに専念することになった。 彼らが歓声を上げたときから店内が微妙に静まっているのに連中は気にすることなく大声を出していて、こちらにしてみれば都合が良い。 「すげぇ、マジあと二台じゃん」 「マジクローしたよな」 「だってヨンマルヨンとかマジ俺ら中学んときんだしょ?」 「今時マジいねぇもんな、オッサンくらいっしょマジ使ってんの」 その辺りで今川が何か言いたげな顔をしてこちらを見たので、俺がポケットから携帯を取り出してそれを見せると彼女は噴き出した。 押し殺した声で笑いながら、オッサン、オッサン、と呟き続けている。なんとなくムカついたので鼻をつまんでやった。 「マジ俺ら狩人だな」 「なあ、マジでオッサンとかも狙ってかね?」 「でも警察とかにチクられたらマジやばくね」 「へっ、かんけーねぇよ。あと二個だべ」 「おい、『マジ』つけろ。マジで」 「すまねぇ、マジすまねぇ」 聞いていてわかったのは、どうやら彼らは噂を真に受けているようで件の携帯電話を本気で七つ集める気らしいということだった。 そこまで聞いて色々と突っ込みたいところも出てきたので、呼吸困難に陥ってる後輩の女子に声をかける。つまんでた鼻を解放してやりつつ。 「いたっぽいんだけど」 「うぅ……ぜーぜー……いや、えー、これもまた噂なんですけど」 今川はそこまで言って一旦言葉を途切れさせた。呼吸が落ち着くまで待ってやってから、話を促す。 「何の噂だ」 「実は、一連の噂が広まった前後から携帯電話を奪われたりしてる人もいるそうッス。中には、その、殺された人もいるとか」 「携帯を強奪?まさかとは思うけど、今のあいつらの会話」 「……明らかに非合法手段で集めてるっぽい感じッスね」 さすがに殺人までしているようには見えなかったが、それでも警察を恐れているふしが有るところを見るに まっとうな方法で収集しているわけではあるまいと見当をつける。だからと言って正義感が起きるわけではなく、あくまで人ごととしてしか受け取れなかったが。 それから彼らはむかつくヤツがどうとか女がどうとか他愛も無いことばかり喋り続け、 周囲も次第に騒がしくなっていって何を言っているのか聞き取りづらくもなっていたので大した情報は得られなかった。 しばらくして店を出て行ったマジ4(今川が命名した)を見送ってから、話を再開する。 「ともかく、噂を信じて行動してる馬鹿もいることは分かったな。まあ、あれは特殊なケースの気もしないでもないが」 「うーん、ヤクザが動いてるとかいう噂もあるんスけどね……」 ポテトをつまみながら今川は自信無げに言ったが、それこそ真偽の分からない風説だったのでその辺は聞き流す。 「で、センパイの分析はどんなもんッスかね。サイトに載せられそうッスか」 「あー。まだ全然わかんねーけど」 こんな与太話を気にしているのは自身の運営する都市伝説サイトのネタにしようと思っていたからなのだが、 後輩であるアホの子を使って情報を集めさせると色々と興味深い点も出てきてしまい、思った以上にのめりこんでしまっている。 「まず、トトの目的だよな」 「ネットの一部では、その、例の『ゲーム』の前からカリスマ扱いだそうッスね。でもネット上のお遊びの為に現実に噂を流すなんて、とんでもないヤツッス」 「一連の噂はトトが流したって?」 呟いてアイスコーヒーを口に含む。ああ、癖になりそうな甘さだ。 一方後輩の女子は意外そうな顔をすると続きが気になって仕方の無いという顔で俺が飲み物を置くのを待って言った。 「ち、違うッスか!?」 「噂の種類が短期間で増えすぎてる。自然に尾ひれがついたというよりは、誰かが多数のバリエーションをどんどん作ってどんどん流してるんじゃねぇかっつーくらい」 「それをしてるのがトトじゃないんスか?」 「どうも引っかかるんだよ。今はネット上にもほとんど姿を見せないが、トトは『ゲームの主催者』のポジションを崩してないみたいだ。 ところが現実に流布してる噂だけを追ってくと、だんだんと、怪物とか魔法使いとか死神とか宇宙人とか神様とか、そんなイメージの存在に変わってきている。この乖離がな」 俺のする話を聞きつつ、見るからに飲みづらそうな容器に入ったカタパルト式シェイクを喉に流し込むと、今川は反論してきた。 「ほら、誇大妄想とか。俺はすごいヤツだぞ!ただのネットヒーローじゃないんだぞ!って」 「妙なのはZ404の扱いだ。噂がどんだけ荒唐無稽でリアリティの無いものでも、これが話の中核になっているのはなぜか変わらない。どうしてこのガジェットに拘泥する?」 そもそも、トトの設定した『争奪ゲームの対象となる携帯電話』の特徴を示す一情報に過ぎなかったそれが拡大されて、 いつの間にか話の中核となってるうえ世間に存在しているZ404という機種そのものに一般化し、すり替えた噂を流す意図が分からない、と続ける。 『ゲーム』と『噂』、なまじ携帯機種という共通点があるから一見同じものを巡っているように見えるが、全然別の動きだ。 単に大きな騒ぎを起こして売名がしたいなら最初から『ゲーム』の方も収集した携帯の数を競うようなものにすればよかったのではないか。 「つ、つまりどういうことッスか!?」 「トトは何らかの意図があって『ゲーム』を始めた。渦中の携帯の動きはほぼリアルタイムで追尾されているらしく、 定期的にネット上で所在が公開されている。曖昧で遠まわしなヒント的に、だけどな。 その後、何者かがその「ゲーム」を妨害する為、あるいは真意を隠蔽するためにZ404とトトに関する妙な噂をばら撒いて実像を歪ませている。これがリアルで流布している噂の素になった」 二次的三次的な広がりもあるだろうが基本的にはそんな感じじゃねぇかな、 などと言い終わると同時、今川の注文したポテトを一本奪って口に放り込む。 冷めてしなびてふにゃっとしている食感と極端な塩辛さが未だ甘ったるいものの残る口内に気持ち悪かったので すぐさま激甘コーヒーを飲んで心を落ち着かせる。ああ、この味って結構いけるんじゃないかと思うようになってきた。 「まあ、今のところ根拠の無い陰謀論みたいな話だけどな。ひょっとしたらトトは単なる愉快犯で、 ネットに関わりの薄い人間を無理やり『ゲーム』の舞台設定の一部に引きずり込もうとしただけって可能性もある」 NPC、あるいは敵キャラってヤツか。たとえそうでなくとも、利害の対立が一切無い奴が、やはり愉快犯になってそれに乗っかったって線もあるし。 「む、むむう。いずれにしたってバーチャル世界から現実世界に広まるにつれて逆に事実とかけ離れた珍妙なことになってきているってのは……」 「どこか皮肉っぽいよな」 言いながら、それこそ皮肉っぽく笑ってみせると今川は納得したようなしてないような表情を見せて黙り込んでしまう。 実のところもういくつか考えた説があったのだがなにやら考え込んでいるこのアホをこれ以上混乱させるといけないと思って言わなかった。 そのうちの一つは、先ほどの話は実は立場が逆で、トトの側こそが『ゲーム』を隠れ蓑にして敵対する何らかの人物・組織へ妨害行為を行ったのでは、という更なる陰謀説だったのだが。 たとえば所在を公開してるあたりからみるに……他人を釣り餌にして何かを引き上げようとしているとか。 いずれも推測にすぎないが、世間に流れているデマじみた噂話ほどではなくとも騒動の元になった『ゲーム』自体も奇妙な話である。 なのにかなりの数の人間がそれを巡って実際に動いているようなのだ。何か裏があるのは間違いない。 もっとも当事者でもない自分には外から俯瞰してあれこれ邪推する程度のことしか出来ないのだろうけれど。 そのまま沈黙が続いて、なんとなくこれ以上は話が広がらなさそうだったので、その辺りで話題を切り上げることにした。 別の適当な話を振る前に、ふと思いついたことがあって、今川に尋ねてみる。 「なあ、アレ持ってるか」 「……え!?あ、アレ!?アレってアレっすか!?もちろんッス!自分、これでも乙女ッスからセンパイと会うときはいつでもそういう準備は」 あたふたと何やら財布を取り出すそいつに冷たい声で告げる。 「いや、誰も金を出せなんて言ってないっつーの。っていうか俺は借金取りか」 「財布の中にあるのは金だけじゃないッス!というかそれガチでボケてるッスか!?ボケにボケで返したつもりッスか!?そんなことで毎回毎回誤魔化される自分じゃ────」 ぎゃーぎゃー騒ぐ後輩の鼻をつまもうとするが、敵もさるもの、サッと身を引いてかわされた。 「えへへ、甘い!ガムシロップより甘いですよセンパイ!私だって少しは功夫を積んでるんですから!」 「『ッス』つけろ。そしてお前の一人称は『自分』だ。ついでにえへへとか言うな」 「うう、そろそろこの妙な罰ゲーム解除して欲しいッス……」 「いいからアレをよこせっつーの」 冷酷に告げると、今川は制止する間も無く財布を開いて中にあったものを差し出す。 「はい!」 そのまま数十秒間お互い微動だにせず、また声も出さなかった。 そして時が動き出す。 「今川」 「はい。というかセンパイ、名前まだ覚えてないッスか。自分、今川じゃなくて────」 「今川」 「は、はい」 「sub %40,5」 「ああっ!?何の変数が5減ったッスか!?40番って好感度!?好感度ッスね!?避妊具を眼前に突き出しただけで5も!?」 「俺は下品なジョークには厳しいんだぞ、今川」 ジョークじゃないのに……というか今川って誰ッスか……などと言いながらすごすごと引き下がる今川に、しょうがないから何を要求しているのか教えてやる。 「ソーセージだよ、魚肉ソーセージ」 「最初からそう言ってほしかったッス……というか好きッスねソーセージ」 ぼやきつつも鞄からその辺のスーパーあたりに売ってるような魚肉ソーセージを取り出して渡してくれた。 受け取ると、手にひんやりとした感触。 「なあ、いつも思うんだけどお前なんで常に冷たいのを持ち歩いてるんだ?というかどうやって冷蔵してるんだ?」 「秘密ッス。あ、教えてもいいッスけどその代わりにセンパイのソーセージを」 「sub……」 「ああああああごめんなさいごめんなさい口が滑っただけッスというかソーセージあげたんだから減らしてばかりいないで少し増やしてくれてもよくないッスかセンパイのケチケチー」 途中から開き直ったのかいきなり横柄な態度を取り出すアホをきっぱりと無視して、ソーセージをかじる。 甘ったるいコーヒーに合うような合わないような微妙な味わいだったが、冷めたポテトよりははるかに美味しかった。 (どっちにしたって安い舌であることは認めるけど) ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ 私はまた飽きもせずに夢を見ていた。 きっと目が覚めたらまた何もかも忘れてしまう、その程度の無意味なものだ。 だからどこにいようが誰と会おうが何も感じなかったし、  が出てきたところで恨み言を言う気も起きない。 それでも目が覚める直前、ほんの少しだけだけど、未練が残った。 潮騒の音に、じゃなくて、五行しか出てこないことに。