D14 hanger 素足でアスファルトを踏みしめる。 陽光の恩恵を受けた平面はそれなりに温かくて、冷え切った廃墟のタイルにすっかり熱を奪われてしまった足には心地よい。 が、天から地球目掛けて降り注ぐ光線そのものは暗がりに慣れてしまった我が瞳に大変厳しく、 心身ともに健やかとは言いがたい私はいきなり立ち眩みに見舞われることとなった。 気持ち悪い。外なんて出なきゃよかった。太陽消えろ。 眩暈及びネガティブな思考をなけなしの気合と根性で無視し、私はそのまま数歩足を進めると振り返って、たった今出てきた建物を見上げた。 4階建ての豪華な墓標。上部にはかすれた文字で「天城ビル」と横書きされている。 『てんじょうビル』なのか『あまぎビル』なのか、それとも他の読み方があるのかはわからないが、 そんなことは今知ったところでどうというものでもあるまい。 私が注目した点は、それが漢字とカタカナの組み合わせで書かれているということだった。 今更何をと思われるかもしれないが、私が思考に用いている言語がいわゆる日本語のようなので おそらくは地球上の日本近郊にいるのだろうという単純極まる推測をしていたのだけれど とりあえず早々に根拠となるようなものを発見出来てよかった。 たとえ見知らぬ街(もっとも今の私は見知った街というものを全くイメージできなかった)であっても 自分の知る言語や文化が通用するのならば何とかやっていけそうだ。 置かれてる環境を把握する一方で、私は自分自身についての考察を放棄していた。 無意味だからとか、今は余裕が無いというのもあるが、『私』を規定したくなかったのが一番の理由である。 今の私には、何一つしがらみを持たないこの状態が清浄な水のようだという観念があった。 自分が何であるか、何であったかといって色をつけるよりも出来る限り透明なままにしておきたかったのだ。 というわけで、たとえ思考のベースにしてる言語が分かっていても私の国籍とか民族とかそういうのは考えないし、決めない。 さすがに性別くらいは自分相手にも誤魔化しようがないけれども。 ともかく、ここが内戦中の不穏な国でも銀河の彼方のセラエノでも無い、 極東の平和な島国(のどこかの都市の一角)であることは疑わないことにする。 ついでに言うと全面核戦争が起きた形跡も無いので いきなり野盗の襲撃を受け、路上で身ぐるみ剥がされ下衆な欲望のはけ口にされてからブチ殺されるようなことが起きる確率はゼロに近いはずであった。 身に寸鉄はおろかぱんつすら帯びていない、か弱い存在である私は、法による支配に心から感謝しなければならないだろう。法治国家まことにありがとうございました。 ……もっとも、その法治国家において半裸と言ってもいい姿格好の人間が野外をうろついているところを誰かに見られるとどうなるだろうか。 答えは『公権力の犬どもが、か弱くてぱんつすら帯びてない私に牙を剥く』。 結局、秩序があろうと無法だろうと人の世で生きていく為には身に纏うものが必要なのだった。 いずれどこかで衣服を手に入れなければならないが、今いる環境でそれを得るためには大抵の場合カネがいる。 そのカネを稼ぐには(不本意であるが)人と関わらねばならないから、 まずは社会に溶け込めるようなまともな衣服が必要だろう。で、その衣服を得るためには大抵の場合……。 私は目の前に聳え立つ糞忌々しい資本主義の象徴から視線をそらし、スパイラルに陥った思考を強引にシャットアウトした。 前向きに生きる為にはあえて現実を見ないことも大切なのだ。それに、いい加減これ以上道端で何もせずに立ち尽くしていてもどうにもならない。 即座に決断すると、論理によらない判断で適当に進路を決定して周辺を警戒しながら移動を開始する。 行く当てなどもちろん無いが、人生とは往々にしてそういうものであるとかなんとか自分に言い聞かせた。 人目を気にしてきょろきょろと辺りを確認しながら歩く私の姿は、客観的に見て不審人物そのものと言えたが、 堂々と歩いていたところでこの服装では同様に怪しまれるだけだろう。 つまりはリスク及び効用をきちんと鑑みた、合理的な移動方法と言えよう。 幸い、周辺には人影はおろか民家すらほとんど無く、目に入るのは廃墟だとか、廃墟と区別の付かないようなビル、 空き地、駐車場、空き地とも駐車場ともつかないスペースなど、不景気極まりない物件がほとんどであった。 それでも、時折見かける古くて小汚い平屋建ての家屋や築数十年と見られるアパートなどにはかすかな生活の匂いがあり、 私はその付近を通るたび主に窓に対して神経を尖らせねばならなかった。 また、向こう側の通りが見渡せる空き地など、視界の開けた場所にも細心の注意を払う。 よくよく考えると町の人間に姿を見られたからといって即座に危機的状況に陥るわけでは無い気もするが、 外に出たばかりの私には周囲の動くもの全てが敵であった。サバンナを行く小動物である。 少し歩いてからふと思い立ち、歩みを止めて耳をすませてみると 車の走行音や、目を覚ます時に聞いたものと同じような工事現場の作業音がかすかに聞こえたので、 これらの音が大きく聞こえる範囲にも近づかないように注意することにした。 十数分か、数十分か、そのくらいの間、私は奇跡的に人間と遭遇することなく歩き続けていた。 正確な時刻は分からないが、お空に輝くうざいヤツの位置を見ると昼下がりと夕暮れの間と言ったところか。 その太陽は相変わらずこちらへ向けて強力なエネルギーを放射し続けているものの、 風がある為に(もちろん薄着のせいもあるが)それほど暑さを感じない。 が、外に出たときに感じた眩暈は既に恒常的な吐き気に変わっており、私の歩みを著しく重くしているのだった。 ひょっとしたら空腹で血糖値が低いせいもあるかもしれない。 飢餓感はさほど感じないが、この調子だと近いうちにどうにかして食料を確保する必要が出てくるだろう。 もちろん言うまでもないことだけど、その「どうにかして」というのは、現状では困難なことだったりする。 せめてどこかで水道でも見つけられれば鬱陶しい喉の渇きだけでも癒せるのだが。 ついでに言うと最初は心地よく感じた素足の感触も、尖った小石を踏みつけたときの痛みですっかりマイナスの印象に変わっていた。 石や砂利程度ならまだいいとしても、ガラス片や生物の排泄物など洒落にならないような罠も路には転がっており、 いずれも裸足で歩く者にとっては踏んでしまうと致命傷となりかねないものである。 今更になるけれど、ビルで死体の持ち物を漁ったときついでに靴も失敬しておけばよかったと後悔する。 電池切れの携帯電話などという使いでの無さそうなモノをわざわざ奪って持ち出すくらいなら、その選択も思い至るべきだろうに、 私と来たらもはやアレが靴を履いていたかどうかすら覚えていなかった。 ……だってあのとき関心があったのは、財布の有無だけだったのだもの。 どうやら不覚にも資本主義の毒が頭に回っていたらしいが ともあれ、この電話機は(盗品だろうと)私にとって唯一の財産だ。 この先、充電が可能な機会があったら動作するかどうか試してみよう。持ち主は死んでいても通話契約は生きているかもしれないし。 周囲からは空き地や廃ビルこそ見当たらなくなっていたものの、 古い町並みは相変わらず辛気臭い雰囲気を発していて、疲労と相まって気が滅入る。 半ば投げやりになった私は既に周囲を警戒することを放棄し、俯き気味の姿勢でフラフラと蛇行しながら幽鬼のように道を進んでいた。 大変残念なことだが、客観的に見て不審人物であることだけは不変である。もしこんな調子で行き倒れでもしたら 誰かに救助されてもされなくても、あまり愉快でない展開に移行することは容易に想像できよう。 ……無理せず、体調が回復するまでどこかで安静にしているべきなのかもしれない。 むやみに歩いているだけではどうにもならないと考え、荒い呼吸を続ける顔を上げて何か私にとって都合のいいものや場所が無いか探すことにした。 道端に置かれた避妊具自販機の唐突さに気を取られそうになりながら前方を見渡すと 少し先の十字路の向こうに「コインランドリー」と書かれた看板があるのが目に留まる。 生憎とここで洗濯を始めるような余裕は精神的にも物理的にも持ち合わせていないのだが、 私は大股で、かつ早足で看板へと歩き出した。私にとって都合のいいものと認定したのだ。 もしこれが天恵であるなら、窃盗を奨励するろくでもない神がついているのだろう。