C32 りざあど  下手の考え休むに似たり≠ニいう。  笹木が無能な訳ではないが、少なくとも動揺した彼女は、キリュウの一言より劣る考えしか出せなかった。 「……先、行っといて」  いつもとは違う、緊張した言葉とともに、キリュウはチンピラ達に飛び掛る。 ジャックナイフを取り出した彼等に恐れる事もなく、隙間を縫うように正面突破して引き付ける。  彼女の仲間の殆どは、その声にはっとなりその場から逃げ出そうとするのだが、それでもまだ動かない者もいた。 「部長! 何してるんですか!」  腕を掴んで引っ張ろうとする笹木。しかし恭哉はその手を払い除ける。 「ははっ……何言ってるのさ。女の子一人置いてくなんて……」 「そ、それはそうですけど!」  確かにそれは彼女も同じ気持ちだった。心情的な問題は勿論、彼女には仕事の事もあるのだから。  しかし仕事なら彼女が飛び出した時に諦めた。今は何としても逃げ切るしかないのだ。 「見たでしょう、何の遠慮もなくナイフ出したのを! どう考えても普通じゃ――」  グイッと、恭哉の襟首に引っ張る力が掛かる。  二人が見遣ると、そこには仲間の一人である、大柄の男が立っていた 「こんな状況でぺちゃくちゃ喋ってんじゃねぇよ!」  彼は自分の手を二人の腕に掴み直し、逃げる方向へ力強く走った。 「あ、わっ…」 「は、離せよ!」  恭哉は振り解こうとするが、笹木の時とは違いしっかりと掴んでいて離れない。立ち止まって踏ん張ろうとも、走る勢いが強過ぎてままならない。  仲間の思いからくる行動は、しかし恭哉の意向など歯牙にも掛けず惨めな逃亡を強要する。 「違うんだよコレは! 畜生っ、畜生!」  笹木は横目でそんな彼を見、複雑な表情を浮かべた。 「で、こんなトコまで着ちゃった訳だけど……」  彼等は今、チンピラと鉢合わせた区画から離れ、市街地の小さな公園にいる。  かなり遠くなのでチンピラ達に捕まる可能性はもう消えたと見て良いが、逆に言えばキリュウを助けに行ってもう無駄だろう。 「こんな公園なのに、随分人が多いな。家族連れもいるし」 「よ、余裕ですね先輩……」  ハァハァと息を切らせながらも、笹木と恭哉を連れて来たその男を始め、仲間の殆どは何時もと変らぬ気楽な様子だった。  恭哉もここに着いてからは只管黙りこくっている。何やら笹木は、自分だけ焦っているようなおかしな雰囲気を感じた。  ――こっちは罪悪感やら失敗の責任やらで頭が大変な事になってるのに……。  そんな事を考えていて、ふと自分がキリュウを捕まえる準備を要請したままであることに気付く。 「あっ……私ちょっと電話入れてきますね」 「おいおい、親に迎えでも頼む気か?」 「それも結構、真剣に考えたいトコですけどね……それでは」  軽口を叩く仲間の一人に適当な相槌を打ち、声の届かない場所へいく。  ――惜しかったなぁ、お金……。 「この後どうするよ。流石にゲーセンでも行こうって気分じゃねぇし」 「まぁお開きね。我武者羅に走ったから現在地が分かんないけど、適当に歩いてたら何とかなるっしょ」  呼吸も落ち着いてきたところで、軽くこれからのどうするかを相談し始めた演劇部の皆。  その様子はとても自然で、何の滞りもなかった。  まるで、キリュウの身の安否など些事であるかのように。 「なぁ……何言ってんだよ皆」  キリュウを見捨てた事に憤りを感じながらも、何と無くそれを非難する事が出来なかった恭哉。  しかし彼等の素振りに再び、かちんときた。 「あいつのことはどうするのさ! 何でそんな、まるでいなかったみたいな扱いで……警察に知らせるって言葉すら出てこないのは何でだよ!」  本来なら寧ろ、違和感を感じるべき状況なのかも知れない。  彼等が、というより自分だけ何かの記憶が抜け落ちてしまったかのような、そんな不自然さがあった。  だが恭哉はそれを考えられない。  それは仲間の身を案じているという以前に、キリュウに関係することで我を忘れているのだろう。  この短い期間で、キリュウは既に彼にとって、仲間とは別の意味で大切な存在となっている。  空想の中か、ずっと遠いところにしか存在しないと思っていた、己のヒロイズムを体現するもの。  それが自分の前は現れたのだ。  唯、憧れた。  傍らにいるだけで、舞い上がった。  普段、その思いは直隠しにしているが、激しく動揺してる時はその気持ちが過度に現れる。そう、今のように。 「声デカイなぁ」 「落ち着けよ部長。ケーサツなんて、そんなのこっちが呼ぶ必要ねーだろ」 「なっ……いい加減に――」 「はいはいちょっとストーップ!」  相当キレてる恭哉の様子に、慌てて仲間の一人が割り込んでくる。 「今思い出したんだけどさ……部長ってあのメール見てなくない?」  ――……?  恭哉には覚えのないことだった。少なくとも今日はメールを受け取っても送ってもいない。精々笹木から今日の誘いをメールで受けた位だろうか。  しかし他のメンバーはそうでもないようだ。 「あー、そういや後ろの方のいたしな。気付かなかったのか」 「竹内、お前が引っ張って来たんじゃなかったか?」 「途中までだっつーの」  竹内とよばれた少年は、チンピラと鉢合わせた時に恭哉を連れて逃げた仲間である。  彼は仲間の一人から携帯電話を毟り取り、恭哉に突き出す 「あいつ等から逃げてる時、こいつの携帯にメールが送られてきたらしくてな。それを元いた場所から大分離れたトコで確認したら、あの女からだったって話。お前と、それか ら多分笹木もかなり遅れてたから、こいつが教えてきた時一緒にいなかったんだろ」  恭哉が受信メールを調べると、確かに彼女かららしきメールがある。電話帳を変なルールで登録してるのか、アドレスは二桁の番号になっていたが、冒頭の文から判別は容易かった。  思いっきり暴れてから自分だけ逃げてやったわ  警備の人が来るのも見えたから、アイツ等当分ここには来れないでしょうね(# ̄ー ̄#) 「……そっか、逃げたのか」  メールのその先に目を向けると、以降は画面ぎっしりと文字が詰まっている。  殆どはチンピラ達の目的の予想――つまりゲームのことで、キリュウは概容の大部分をメールに書いていた  勿論そのままに、という訳ではない。情報∞賞金額∞吸血鬼=\―ゲームの中でも如何わしさを感じさせる部分は、全て分からない程度に暈した説明になっている。  恭哉達のようにこの争奪戦と無関係の者からは、単なるネットの企画として思われない だろう。決して危険なものではなく、寧ろあのチンピラ達が異常、そう感じるよう巧みに説明されていた。  そのまま巻き込んだ事への謝罪に続いて、最後に、自分も警備員に目を付けられたかも知れないから、後は自分抜きで楽しんで欲しい、と締め括られている。 「な? コレで分かったろ。まぁ結果的にハブってたのは悪かったけど」 「ヒヒヒッ、部長が熱くなってんのはちょっと笑えたな」  ここで恭哉が、誤魔化すようにヘラリとでも笑い返したら、それでこの話はきちんと終わったのだが。  彼が空回りな自分を取り繕うとして、また少し話が拗れる。 「……これで安心出来るだろ、とでも言いたげだね」 「あん?」 「こんな白々しいメール……結局キリュウが怪我を負ってるのかどうかすら分からない。いや、あの人数相手に怪我してない訳がないんだ。寧ろあいつ等が脅して書かされてるってことだって――」 「お、おいそれは」 「心配しなくていい理由なんか無いんだよ! あの時、あいつの一言で逃げ出した僕達には」  何か言い返そうとした仲間に被せて、強い口調で吐き捨てる。  確かにそれは言う通りなのだ。  彼等も彼女の強さは聞き及んでいて、信頼していたというのもある。しかし、唯のメール一つで安心し切ってしまうのか、と言われれば言い返す言葉は無いのだ。 「……何であの時、僕を無理矢理連れて行こうとしたんだ。本当なら僕だけでも残って――」 「一緒に戦った、か?」  ウンザリだ、とでも言いたげな口調で、竹内が聞く。 「ちげぇだろ。キリュウを引っつかんで逃げる方がまだマシだ。それか自分が言ったようにケーサツに通報すれば良い」 「本人≠ェそんなことを言うのか? 白々しいにも程があるじゃないか」 「ガキの頃――」 「え?」 「ガキの頃、漫画の主人公が活躍してる場面見て良く思ったことがあってな」  恭哉の言葉を無視する形で、竹内が静かに語り出す。  どこかふざけ半分に、軽く両手を挙げて。 「『こいつは何でこんなにも持て囃されてるんだ?』という考えだ。悪い奴は意地でも倒す、強い力があれば正義のために使う、友の危機には自分を犠牲にしてでも助ける、そんなこと当たり前じゃないか? 誰だって、機会があれば必ず同じ事をする筈だってな。……けどその内、あいつ等の凄さに気付いたよ。人って意外と、自分の弱いトコには気付かないもんだな。悪党に立ち向かわなきゃいけないのに足が竦んで動けない、なんてことが現実に あるなんて思っても見なかった」  恭哉は自分の巻き込まれた事件について、人に話したことなど一度も無い。だから竹内も、その事を指摘してるつもりはない筈だ。  しかし恭哉にとって、そのトラウマを強く思い出す言葉であるのに変わりはない。 「部長さんよ、アンタも俺と同じ経験をした筈だぜ。自分のすべき事を決めておきながら、立ち竦んでいたんだからさ」  立ち竦んで、ビビッて、動けなくて、手を引かれて逃げたら、此れ幸いと責任転換する。  そう、本当は竹内に手を掴まれた時、恭哉は反感と同時に、心の底で助かったと思ったのだ。とっくに自分のやろうとした事を後悔して、逃げ道を探していたのだ。  ――けれどそんな自分を肯定するのが嫌で、自分だけは違うってポーズ取って……。  メールを見れなかった理由もそこで、直ぐに手を離しても逃げる足を止めなかったのに、俯いて、ずっと後ろを走って、笹木は心配になってそれに付き合い、二人はその話に関われなかった。そういう茶番なのだ。  ――確かに、自分では気付いてなかったけど―― 「俺達にも非はある。ここにいる全員にある。お前にだけ無い、なんてのはありえないんだ。」  ――弱いなぁ、僕。 「すいません、遅れちゃっ……て?」  笹木が戻ってきた時には、もう全てが終わっていた。  全て終わって、誰も言える言葉がなく口を噤んでいた。 「な、なにこの空気。暗っ」  笹木はそれに気圧されて、敬語も使わずにそう呟いた。