C23 りざあど  物語の舞台からはやや遠くに位置するその町。県の中でもそこそこ近代的といえる 土地だが、それでも北東の端には、まだ自然を十分に残した高山が残っている。落葉樹 が生い茂るその山を中腹辺りまで登った所に、その屋敷は存在した。  中世の城をそのまま持って来たかのように巨大で煌びやかな建物だが、特にゴシッ ク建築から取り入れたと思われる奇妙な技巧などが目を引き、全体的にも荘厳さよりアン ティークな雰囲気を重視しているように見られる。  屋敷が醸し出す空気は、周りを埋め尽くす濃い緑と上手く調和し、訪れた者は下界 と切り離された魔法の館のような印象を受ける――――と思われたが、少なくとも彼女は そこまでの感慨など抱かなかったらしい。  ――相変わらず悪趣味だなぁ。  山の歩道を歩いてきた為か、全身を汗でグッショリ濡らした彼女は、それを拭う事 もなく湿った手でドアノッカーを鳴らす。  数分ほどの時間をおいて、両開きのドアが重々しく開き、タキシードスーツを纏っ た初老の紳士が顔を覗かせた。紳士は日本人ではなく白人で、礼儀正しく、厳めしい顔つ きで、いかにも汗でベトベトな汚らしい少女の来訪を好まない感じだった。 「笹木です。カミリィさん達に呼ばれて参りました」 「……どうぞこちらへ、地下室でお待ちです」  そう言って紳士は、ほんの少しだけ乱暴にタオルを差し出した。  ――やっぱり主人が私みたいなのを使って後暗いことをしてるのは、執事としても 心苦しいのかな?  どこか申し訳ない気持ちになりつつも、先導する紳士について地下室へ向かう。  屋敷の内装は、やはり外観に劣らず暗く耽美的な装いを見せていた。火の点らない 蝋燭台を通り過ぎ、黒と橙で模様が描かれた絨毯の示す道を進み、シックな調度品と広い 円卓が目に付くホールを過ぎる。  そうして屋敷の奥へ向かっていくと、やがて今までの様子と明らかに違う、無骨で 簡素な鉄門が現れる。 「確か此処でしたよね……」 笹木が扉に手を掛けようとすると、慌てて紳士がそれを遮る。 「気をつけて下さい。この前も落ちそうになったでしょう」 「……分かってますよ」  笹木が扉を開くと、その先にはそのまま急な階段が続いていた。確かにこれでは、 住み慣れた人でないとつんのめることもあるだろう。  紳士はこれ以上付き添う気がないようで、彼に見送られながらおっかなびっくりと 階段を下りて行く。  町外れに建つ洋館の地下。そんな「いかにも」な場所では、やはり笹木も自分が場違 いな存在であるかのような違和感を覚えた。  ――その違和感が本物なら良いのに。  ――私が、ここへ迷い込んだだけの愚かな女なら良かったのに。  しかし現実は、少女のささやかな願いなど意に介さずそこに在るだけである。  彼女は確実に、ここの住む『吸血鬼』に加担し、法的にも倫理的にも悪と言える仕 事を請け負っている。  彼女の母は実に愚かな女だった。  彼女が知る限り、母は今まで三人の男と関係しているが、その全員が、結果的に多 額の金と共に母の前から消えていった。  最初の夫は暴力家。  逃げるように浮気した男はジゴロ。  貢いだ金と浮気の慰謝料で困憊した母に、詐欺師がトドメを指した。  まるで過剰なリアルを売りにする物語の様な泥沼っぷり。トントントンと、宛らそ れは軽快に段差を降りるかのような流れだった。  無論、その先は軽やかさも快さも保てない奈落の果てなのだが。  せめて最初で懲りておけば、こんなことにはならなかっただろう。  しかし或いは、と彼女は思ったのだ。或いは、母は母なりに自分を気遣ったのでは ないか。  父の汚い面ばかり見て来た自分に、世の中はこんな男ばかりでないのだと言いたく て、新しい相手を得ることを焦り、こんな結果になったのではないかと。  都合の良い考えであることを承知で、しかしもしそうなら私は、その愚かな母を愛 したい。ずっと私を見てくれた母さんの為に、唯一人でも裏切らず傍にいる者でありた い。  そう、彼女は思っていた。少なくとも――その時点までは。  ――いや、今も確かに思ってる。  ――少し滅入ってしまっただけ。決意を固めて矢先、母さんは早々に折れてしまっ たから。  ――ホント、今度は宗教だなんて……。 「あら、いらっしャイ」  階段を下りきったところで、笹木は外国訛りを持った聞き覚えのある少女の声を聞 いた。  そこは弱弱しい白熱灯に照らされた、赤レンガの不気味な幽室。備え付けられた棚 には、痛々しい棘や万力を取り入れた金属製の拘束具の様なものが並べてあった。用途 が人を拷問に掛けるものだというのは、染み付いた血錆からも想像に難くない。  部屋にいた先客は三人。一人は彼女に呼び掛けたゴスロリ服の白人少女。一人は厚 い眼鏡を掛けた大人しそうな少女。そして最後の一人は―― 「呼び出してごめんなサイ。ちょうどこの子と遊んでたところだったカラ」  最後の一人は、ギャグボールを銜えさせられ、パイプ椅子に縛られ、惨たらしい傷 を全身に作った哀れな少女。 「私は気にしませんから。それよりカミリィさん、また仕事を頂けると聞いて来たん ですが」  笹木は、縋るように見つめてくる少女から目を背けつつ、丁寧ながら少しぶっきら 棒に本題を迫った。  カミリィと呼ばれた白人少女――カミリィ・ヘルンバインは、大仰に肩をすくめ る。 「せっかちネ。その前にアナタも少し遊びに参加してみナイ? きっと病み付きにな るワ」 「遠慮しておきます。私みたいな貧乏人には、高貴な遊びで夢中にはなれませんので」 「あら皮肉? 神父様から教わらなかったのカシラ。人の好意は喜んで受けるものだ とか……そんな感じのナニカを」 「カミリィさんも教えなんて知らない筈です。教会の方々とは直接関係ないと聞きま した」 「その通リ! 何せ私は吸血鬼デスモノ。聖者達とは関われないワ」  ケタケタと、愉快そうに笑いながらそう答える。  そう、吸血鬼。それは元々カミリィではなく、話に加わらぬもう一人の少女――潮 から生じた通り名らしいのだが、二人一緒のことが多かったため、今では二人の名前と なっている。  その幼さに相応しくない金と権力、そして才知に物を言わせ、世の中の裏側であり とあらゆる道楽≠遊びつくした言われる恐ろしき二人の鬼である。  そんな彼女達が教会のスポンサーになっていたのは、恐らくそこの、絶望の表情で 椅子に縛られている彼女のような玩具を得る為だったのだろう。笹木が初めて彼女達に あった理由は、神父に使いを頼まれたからなのだが、本来なら彼女もそこでこの少女と同じ 状態になっていたかもしれない。  演技力――つまり人を誑惑する才能に目を留められ、仕事を貰っている今では、元 の経済状況もあって恩人ともいえる相手である。しかし笹木は、それでも精神的には絶対 の溝を感じていた。 「ケド、それがなくてもアナタのお母様ほど信仰心は持てそうにないワネ。あんなデ ブッチョにゾッコンなんて、一体どんな――」 「……もう良いでしょ。私も早く本題に入りたいわ」  今まで拷問器具を弄っていた潮が、痺れを切らして話しかける。フォローを入れた ようなタイミングだが、恐らく彼女にそんな気は少しもないだろう。笹木もそれは分かっ ていた。  カミリィはやや鬱陶しそうに潮を睨むが、その後は素直に沈黙する。どうやら自分 から説明するつもりは無い様だった。  やがて、潮が話し始める。 「今回の目標は彼女。同じ高校みたいだし、丁度良いでしょ」  そう言って一枚の写真を笹木に差し出す。そこには町の景色とともに、けばけばし い化粧と黒い服着込む一人の少女が写っていた。構図から考えて、恐らく盗撮だろう。  ――カミリィさんと似た衣装……。 「パンクファッションね。私達と違ってその子のはお遊びヨ」  カミリィが笹木の考えを察して訂正する。とはいえ笹木は仏頂面で考えを面に出し ていなかったのだから、カミリィ自身何度か勘違いされた事があるのだろう。 「仕事の内容はいつも通り。目標と親密になり、誘い出すだけ。期限は一週間、成功 したら30万出すわ」 「……はい?」  彼女の仕事は先ず相手と信頼関係を結ぶことから始める。なので確実だが狙ったタ イミングで決められた場所にというのは難しい。それ故、期限を設けて、その間に呼び付 けられたら場所を教えて捕まえる、という方法を使っている。  目標になる者は大抵逃げ出した二人の玩具≠ゥ、彼女と同じ使い走り≠ェ裏 切った者なので、非常に用心深くなっている。そういう意味では一週間というのは少し短い が、それでも笹木の、演技力から来る話術をもってすれば不可能ではない。どちらも問題 ではなく、肝心なのは―― 「……いつもより遥かに高いようですが」  三十万。母が宗教内の働きで得る僅かな給料と、今回のような稀に頼まれる仕事で 生活している彼女にとって、それは何年もの年月を掛けてこそ得うる金額だった。  普段なら口止め料込みでも精々五万程度なのだが、それと比べれば既に気前が良い というレベルではない。寧ろ不信感を感じるのが自然だった。 「勘違いしないで、格段に難易度が高くなるって訳じゃないの。敢えて言うならプ レッシャー代わりね。今回は動くものが大きいから、気を引き締めて貰わないと困るのよ」 「大きい……とは?」 「ワタシ達の大事な秘密。それも、下手に流れたら揉み消させないかもってレベルの ね」  言い出したことの重大さとは対照的に、十分余裕な笑みを浮かべて言うカミリィ。  流石にこれは、大袈裟な表現を好む彼女のジョークなのだろう。カミリィの家系か ら成る権力は他の追随を許さぬものであり、何より彼女達自身、握り潰せぬほどの秘密を 持つような愚を犯す筈がない。 「あいつ……確かトトだったかしら。あれをあんなゲームの賞品代わりにするなんて」 「エエ、あんな面白そうな<Qームの賞品にするなんて……剰えワタシ達を呼ばな いなんて」  お仕置きが必要ね。  示し合わせたかのように、二人の言葉が重なる。  同時に、表情も歪な変化が生じた。吊り上る口元に合わせて、整っていた彼女達の 顔が徐々に醜く変貌する。笹木は軽い戦慄を覚えた。理性を保った笑みが、ここまで人の 顔を変えるのかと。  否、それはまさに吸血鬼――怪物の顔だった。 「おーい、まだか?」 「はい、ではその様に。……すいません、今終わりました」  携帯を切って仲間の呼び掛けに答える笹木。  この日、彼女達演劇部のメンバーは再び町へ繰り出していた。誘いをかけたのは勿 論彼女自身であり、目的も勿論、カミリィ達から請けた仕事を達成する為である。  カミリィが情報屋から聞き出したという話で、参加者が知る程度の知識は得た。携 帯を奪い合うゲームだということ、次の満月に掛かる電話を取った者が勝者だというこ と、勝者には賞品と特別な情報が与えられるということ。その他の細かい制約もあるが、 元々これに参加することが目的でない彼女は殆ど気にしていない。  彼女に与えられた仕事の意味は、即ち予防策。どうやら最近、カミリィと同じクラ スの権力を持つグループが、幾つか突然に騒がしくなっているらしい。 『もし彼等も情報が漏洩したのなら、十中八九トトが関わっている。カマを掛けてみ たらビンゴだったわ』 『ソレはどういう意味だと思ウ? 私達の秘密も特定の人じゃないと使い様にならな いモノだし、きっと勝者が誰かにヨッテ渡す情報を変えるつもりナノヨ』  彼女達はそう言った。つまり、彼女達の情報を欲しがる者だけ何とかすれば、少な くとも秘密がゲームの賞品として弄り尽くされることはなくなるという訳だ。  幸い、ネット上にはゲームの進行状況を知らせるサイトがあるので、そこから情報 屋が参加者の詳細を調べ、彼女達と因縁がある者を何人か見つけた。そして笹木にその中 の一人、キリュウが割り当てられることになっただ。  無論、彼女達はゲーム自体にも何か仕掛けるつもりらしいが、それでも尚、ゲーム が進行する可能性を予測してのこと。だからこそ予防策である。  部長を差置いてメンバーの前を歩き、何人かと談笑するキリュウを睨みつけなが ら、彼女は己の中にある決意を固める  ――カミリィさん達とどんな関係があるのか知らないけど……関係あるってこと は、ほぼ間違いなく悪い事をしてるということ。  ――だからキリュウさんを攫うのは、演劇部のみんなが妙な事に巻き込まる可能性 を消すことに繋がる、大切な事。  それは何より、彼女自身の存在を完全に無視した論理だが、笹木はそれを自覚した 上で強引に押し通す。  本来なら下手な理由付けなど必要ない。この仕事を何度も続けて、人を騙す事など 慣れていた筈だからだ。  しかし、彼女にとって演芸部の部員でいる時間は、自分の仕事を唯一忘れられる時 だった。  家庭にも学校にも居場所はなく、何もせずにいれば、自分のした事への罪悪感が常 に襲ってくる。  ――あの人達といる時だけはそれがなかった。夢中になれたんだ……。  キリュウを攫ってしまえば、その時間は最早永遠に来なくなるだろう。自分の悪に みんなを巻き込んでしまうのは、キリュウではない、本当に笹木自身になるのだ。 「笹木さん、どうかした?」 「え? あ、いえ……ちょっと考え事を」  暗い表情で最後尾を歩く彼女に、心配になった部長が声を掛ける。笹木は何時の間 にか自己嫌悪の渦に嵌っていたことに気付いた。  これ以上考えててもしょうがない。笹木はそう思い、仕事の流れを確認することに 思考を切り替えた。  連絡を入れたのはついさっきだが、これまでの経験から大体十分後には捕獲班がこ こに到着するだろう。そのタイミングでキリュウを誘い出さなければいけない。  それには先ず他の演劇部員と離さなければいけないのだが、キリュウにあって他の 仲間にないものと言えば、これはもう言うまでもなくパンクのことである。  この街区には一軒、そういったマニア向けの服を売る店がある。幸い、彼女には今 までの目標のような用心深さが殆どないので、あの服に興味があると言えば簡単に信じる だろう。  ――一度通り過ぎてからの方が知り合いに知られたくないってことで分断させ易く なるかな。あの人にその考え方が理解出来るかちょっと問題だけど……。  実行までの数分間、笹木は少しでも不安要素を消そうと作戦を練り上げていくが、 そこに突如、一つの予想外が登場した。  正確には、一つではなくもっと沢山の―― 「ハイ、みぃつけた」 「超ラッキー。サボってるって聞いて探してたら直ぐ見付かるとか超ラッキー」 「うっひゃぁ、何このすげぇ服。メイクも気味悪いぜ」 「トモダチと一緒のとこごめんねぇ、ちょっと来てくれるかなぁ?」 「え? ……えっと、え?」  軽薄な言葉とともに、何人かの同年代と思われる少年達が、彼女達の前に現れる。 風貌は明らかにチンピラといった感じで、下卑た笑みを浮かべながらも、殺気を伴った鋭 い眼でこちらを睨んでいた。そして――ポケットに突っ込まれた手の中には、一体何が握 られているのだろう。  言動から考えるに、どうやらチンピラ達は演劇部の面々というよりキリュウに用が あるらしい。  一体どんな?  こんな輩が学校から態々探しに来る様な、どんな用があると言うのだろう?  しかし笹木には、その理由について予想が出来た。  ――まさか、参加者から雇われて……? こんなことなら他の参加者の行動も調べ て置くんだった……。  彼女は後ろに一歩後退る。兎も角、このままでは自分の仕事どころが、この身の安 全すら危うい。周囲の人を見渡すが殆ど眼を合わせくれない。唯のカツアゲでも関わりた くないのに、この大所帯同士なら尚更だろう。  後ろまで囲まれてはいないようだが、彼女を含めた何人かは体力的にチンピラ共に 劣る。唯走って逃げるだけでは芋づる式に捕まえられてしまうだろう。いっそ何人か捕 まるのを覚悟でバラバラに逃げるか? しかし彼等は戸惑うことなくキリュウを追うだろ う。 そのせいで仕事が達成出来ない状況になったら元も子もない。  何より――仲間の何人かは未だに足が竦んで動けないようではないか。自分だけ作 戦を考えても意味がない。  ――ま、不味い。これは不味い!  こんな無駄な思考、笹木は一秒も掛らず打消したが、その間にもチンピラは遠慮な く距離を詰めてくる。  そしてまた一歩、乱暴に足が踏み出された。