B58 絵空つぐみ ここまで来てようやくと言うか、俺と姉貴、高梨家の家庭環境について語っておこう。と、言ってもそれほど珍しい家庭環境ではないと俺自身は思っているから、面白くはないことを断っておく。エキセントリックなのは姉貴の横柄な態度だけだ。 親父とお袋は、俺が高校生のときに死んだ。 幾ら五所瓦組との一件の後で首と肝が据わり始めていたころの出来事とはいえ、当時は流石の俺も堪えたもんだ。当時は随分泣きもした(主に姉貴が、だぞ)が、今となってはよく持ったほうだとさえ思っている。熟年結婚・熟年出産だった高梨・依田両家の結納のときから、そうなることは決まっていた。ただ思ったより早かったってだけだ。 それ以来、寒空に放り出された可哀想な俺と姉貴は一緒に暮らしたりバラバラに暮らしたり互いのぱんつを洗ったり洗わなかったりしつつ、持ちつ持たれつやっている。いやどうでもいいだろぱんつは。 高梨家には経済的に豊かな親戚もいなかったから、俺と姉貴は二人で生活することとなり、その暮らしぶりは質素で厳しいものだった。とはいえ、姉貴の稼ぎのお陰で、まあ食を欠かすことはなかったし、お陰様で高校まで無事卒業することもできた。時々銀二の兄貴に借りたりたかったりはしたが、後々俺が独立した後に全額返済を果たしている。 姉貴はその頃から、その年齢とキャリアにしては異様なほど稼いでいた。そうでもなければ高校生一人養うほどの稼ぎは得られまい。そのことに気が付いたのは姉貴から独立した後の話だ。姉貴がどこで金を稼いでいたのか、また稼いでいるのか、俺は知らない。時折ふらっと外泊したかと思えばいつの間にかに家で死んだように熟睡しており、そのたびに口座に多額の振込みがなされている辺り、真っ当な会社員でないのは確かだが、姉貴はそのことについては真面目に語ってくれない。 しつこく聞いてみると、なんかどっかのお偉い機関で世界中をびゅんびゅん飛び回っているとか茶化す。茶化してくれるときは良いほうで、無言で封殺したりすることのほうが多かった。緘口令でも布かれているのだろう。見るからに疲労困憊でも、姉貴は仕事のせいにしないし、疲れていない風を装う。「仕事なんてしてない」とまで言いそうなほどの徹底振りだ。 一昔前の俺の勘では、茶化しているその大げさな内容にも一理あって、国の極秘諜報機関で女スパイとして様々な業種の悪を裁いて──なんだその夢見がちなお話。そんな風にも思っていたのだが。 さて、未鑑定の姉貴からのメールを無視した俺は、少々身の振り方を考えにゃならなくなった。 もしこのメールが本当に罠であれば、多少のラグこそあれ捜索の手が伸びることになるだろう。もし罠でなくとも(俺の今までの行動がただのサイコだったとしても!)姉貴から逃げるシェルターは必要になる。 となると、自宅と行きつけのネカフェに戻るのは論外だ。仕事柄個人情報には気をつけているが、そもそも姉貴のパソコンと携帯を手中に握っているなら、どうしようもない。アイツは年賀状を嬉々としてパソコンで作りやがるからだ。筆で書け有段者。 俺の行動半径内はまず避けねばならない。顔も割れていると判断すべきだ。早急に兄貴に連絡して、潜伏場所を作ってもらわないとな。 「……と、いうわけです」 「なるほど。話を聞くだけではさほど危険が迫っているとは断定できないが、君の勘がそう告げているのか」 銀次の兄貴は携帯の向こうで少し間を空けた後、 「君の勘を信じよう。後払いで構わない」 俺は胸中で舌を打った。タダじゃねえのかよ。と思ったところで、俺は電話の向こうから物凄いプレッシャーを感じた。いや舌打ってないって。打とうかなとか思ったりしたりしなかったりしただけだっての。 「とはいえ、すぐと言うわけにはいかないな。明日には手配しよう。今夜はどこかで身を隠していてくれ」 「ありがとうございます」 我ながら無機質な声でそう答えたもんだ。 そんなわけで、俺は高校時代の同級生を突撃訪問して時間を稼ぐことにした。 瑞江モキチ。標的に選んだのはそんな名前の男だ。モッチーの愛称で親しまれるその軽度オタクは灰色ヶ原の街に長いこと住んでいて、高校のころから一人暮らし、パソコンとエロゲには目のないフリーター青年。女性の趣味はボーイッシュなの。非常によくわかりやすいキャラクターのモッチーは、俺が訪れるのに非常に好都合だ。親戚でもなく、高校時代の交友まで遡らねば俺とも繋がらないはずだから、興信所でもこいつまで辿んのは時間が掛かるはずだ。通信履歴の見れる警察なら別だが、一日二日で礼状までは出んだろ。 モッチーの家は駅から北東に離れた嫌がらせのような僻地にあり、家の窓をなんとかこじ開ければ(立て付けが悪いのだ)裏には山が見えるという大層なボロアパートだ。立地条件的にも身を隠すにはもってこいの場所にある。 そういえば、その山には「吸血鬼」の住む屋敷があるって聞いたことがあるな。ヘルンバイン? コンバインだったか。ダンバイン……は違うな。とにかく、そんな名前の公称の屋敷だ。今回の「吸血鬼」とも何か関係があるのだろうか。もっとも、その話を俺が聞いたのは随分前の話だから、今も「吸血鬼」が住み着いてるのかは知らねえ。 俺がモッチーを訪ねると、彼は家を出もせず耐久何時間かのネトゲ三昧中だったらしく、目の隈をもみしだきながら今日が休暇であることを何度も念押しした。ニートと呼ばれんのだけは絶ッ対にイヤなのよ……! とのこと。 これまでの経緯について捏造して語ると(トトとか一切出てこない常識的な家屋損壊話としてでっち上げた)彼は快く一日の滞在を許してくれた。おお心の友よ。騙してすまん。でもきっちり騙されてもらうぜ。 俺が彼を訪ねたのが契機となったか、モッチーはそれまでぶっ続けでプレイしてたらしいネトゲを中断してコンビニへ飯を買いに行った。勿論二人分だが、金くらいは出してやった。礼儀って奴だな。 モッチーの家を選んだのは、もう一つ理由があった。この街を離れずして、なおかつネカフェを使わずにネットに繋ぐ。我ながらみみっちい目的だが、まあモッチーは定額接続だ。そんくらいで怒りゃせんだろきっと。 俺は彼の白いノートパソコンを勝手に使い、夢子との再度のアクセスに望んだ。気は進まないが、正直なところ俺にはあのマゾ女の不自然な事情通振りしか情報源が無いようなもんだ。恐喝ならともかく聞き込み調査とかありえねえ。今回は顔も割れてるしな。 夢子との対話には、普段数時間のラグがある。彼女もそれなりに忙しいのか知らないが、年がら年中パソコンの前で要求を待つような人間離れしたことをしているわけではない、らしい。 だが、その日はすぐに反応した。何か急ぐ理由でもあったんかね。 夢子:どこから 夢子:ヒーローさんはどこから繋いでいるのですか 雪:知人宅だ 夢子:そうでしたか。ありがとうございました なんだそりゃ。俺がその疑問を打ち込み始めたときに、既に夢子は本題に入ろうとしていた。相変わらず素早いこって。 夢子:エリナーさんの居場所は、まだ掴めていません 雪:そうか 夢子:用件がそれだけでしたら、失礼させていただきたく思うのですが 今日はやたらに焦っているように見えるが、何か厄介ごとでもあったのだろうか。俺が厄介ごとだって意見は敢えて無視させてもらおう。もちろん俺はそれで勘弁してやる気もない。前回聞きそびれたことを聞かねばならねえからな。 雪:「吸血鬼」についても教えて欲しい 夢子:「吸血鬼」は殺し屋の一派です おう殺し屋。殺す生業だってよ。そんな物騒な単語がさらりとログを流れ、 夢子:貴方のお姉さんが、その一員です すっと頭から血が退避し、さざめくようにまた戻ってくる。姉貴がその「吸血鬼」? で、殺し屋? 夢子:その全容は不鮮明です。組織としてまともに成り立っていないという話もありますが 夢子:貴方のお姉さんは、何らかの目的を持ってもぐりこんだようです 何らかの目的。俺の推測が正しければ、それはトトにまつわる何かだ。 夢子:貴方のお姉さんをさらった人物も、吸血鬼である可能性が高くはあります 雪:可能性か 夢子:はい。必ずしもそうであると確定できる情報は入っていませんが 夢子:現在、このゲームで一番多くの行動を起こしているのは吸血鬼の陣営のようです 姉貴は「吸血鬼」でしかできないこと(だが「吸血鬼」の目的に害をなすこと)をやろうとしてもぐりこみ、その途中で露見して捕まった。 やりそうなことだ。無茶をしてボム抱えたまま落ちるところまで完全に姉貴の行動パターンだ。 雪:吸血鬼って、どんな組織なんだ 夢子:リーダーは存在するようですが、名ばかりのもので各々バラバラに動くことが多いようです 雪:リーダーは 夢子:「始祖」と呼ばれます。男女年齢さえ不明ですが、九割九分九厘という奇跡的なまでの依頼完遂率を誇るとのことです 夢子:『灰色ヶ原駅の掲示板に「VINE」と書くと、「シソ」が現れ、気に食わない誰かを殺してくれる』という噂があります 夢子:幸せになれる、恋人が出来る、といった亜種も多く、当てにはなりませんが、偶然の一致ではないでしょう 最初はどうだか知らんが、今や一種の都市伝説ってところか。てかそいつ新宿の種馬か何かじゃね? 俺はひとまず夢子に感謝の意を告げ、もう二度と会いたくない的な補足を付けてブラウザを閉じた。情報屋だの何だの、関わらないで済むならそれに越したこたねえんだ。ちなみに今回の料金は二百六十二円だった。やたら安かったのには何か理由があったのだろうか。 これで「吸血鬼」について多少知ることが出来た。善良なモッチーを騙した甲斐はあったってもんだ。 姉貴はその「吸血鬼」と仕事をしていたのだろう。殺し屋。そりゃ割もいいはずだ。あの安定大好き、法令順守で愛想の悪い姉貴が、よくもまあそんなことをと感心してしまう。俺が非合法に回ると散々文句を付けたってのにな……姉貴に文句付けにゃならんことが一つできた。 姉貴は殺し屋だったのか、ということも聞かねばならない。姉貴ならどうやって人を殺すんだろうか、というところまで興味は湧く。 刺殺撲殺絞殺毒殺圧殺扼殺。殺し方は色々あれど、あの姉貴ができそうなものと言えば……そこまで考えたものの、さっぱり浮かばなかった。俺は懐に忍ばせたプラスチックの危険物を思い出しながら、銃殺はありそうだな、と考える。 でも、できることなら姉貴はただの事務屋であって欲しい。そう願うことは責められやしないだろ。 俺は可能な範囲でアクセスの証拠を抹消し、ウインドウ構成を元に戻し、モッチーの帰りを待つために冷蔵庫を開けた。ビールを頂こう。 ツマミの一つや二つでもお持ち帰りしてきてくれると気が利くなあ、と思っていると、ちょうどモッチーが帰ってきた。 ちなみに、後ほどモッチーがパソコンを見て青ざめることになるのだが、本題に関係なさそうなんで俺は無視した。 『カリオテさん、やっと見つけた』だってさ。