B49 絵空つぐみ  牢獄に囚われの身となれば、何となく耽美なおとぎ話の一場面にも聞こえるものだ。 「だけれど」  そう呟いた彼女は、コンクリート打ちっぱなしの壁に寄りかかり、じっと動かない。開かないドアを見ていても仕方がないから。  女は監禁された。果たして何処に、そして誰に?  その視界に映るのは、埃の積もった灰一色の部屋。窓は無く、家財道具も無く、何一つ無い。蛍光灯の明かりが無駄に眩しい。  服装は例のスーツのまんま。『いちごぱへ』でベタベタしている。それに、古風な足かせ。小奇麗な銀装飾の付けられたそれはその手のプレイに使うような代物で、重石は1キロ程度と軽いけれど、足かせとしては成立している。  物語から取り出したようなガジェットと、現代的な一室。酷くそぐわない光景だと彼女は思っていた。 「そんなおあつらえ向きの場所、この街にはないわね、トト?」  彼女を捕らえた『吸血鬼』の中に、トトの姿は無かった。と思う。けれど、彼の目はきっとどこかに潜んでいる。確信、とまではいかないけれど、そうであって欲しい、と願ってしまうのは彼女の一種の宗教観だろう。  自分が何処にいるのかは判らないが、少なくとも鉄格子もないし監視もいない。ドアも、鍵は掛かっているが蹴破ろうとしてできないことはない、と女は思う。  ぐう、と彼女のお腹がなった。とりあえず今みたいに、限界ギリギリまで血を抜かれていなければ。  あれからどれくらいの時間が経っているのだろう。目隠しをされこの一室に運ばれ、放り込まれ、そしてそのまま。時々思い出したかのように食事は届けられるが、それが規則正しく提供されているものなのかも、わからない。 「牢屋なら窓くらい欲しいものね。泥を見るか、星を見るかくらいはできるわ」  毒づく。誰かがドアの前で聞き耳でも立てているなら、聞こえているだろうが。 「相変わらず勝手な人」  どちらがだろう、と彼女は思った。例えこの状況がトトの意図したところであったとしても、彼女を直接的に捕らえたのは『吸血鬼』だ。彼女を丁寧にもてなす道理はない。金で済まさず捕らえられたのは、それなりに重要、かつ、邪魔なだけで殺すに忍びないと見てもらえたということなのだろうが……  まだ、一応の同胞と見てもらえているからかもしれない。 「トト」  ──を求める『吸血鬼』として。 「殺されるわよ。……それとも、それさえどうでもいいって言うの?」  彼女と目的を同じくする人間も、いないだろう。『吸血鬼』として潜り込んだ彼女だったが、求めているものは彼らとは違う。『はぐれ吸血鬼』の彼女が求めるのは、技術でも、賞金でも、口封じでも、その他考え付く理性的な考えではなく──。 「いいわ、好きになさい。ここから先貴方がどんな設定を持ち出してこようと、構わないわ。貴方の無茶は今に始まった話でもないことだし」 「何が来るか楽しみじゃない。何が起こるのか、何をしでかすのか」  しかし、ここは一体何処なのだろう。いつまでここに閉じ込められていればいいのだろう。それとも、もう永遠に? あるいはここで、全てが終わるの? 「でも一度くらい顔を見せてよ、トト。……」  そうして高梨ヒロコは、震えた声を出さずして弟の名前を呼んだ。  誰の曲だか思い出せない 「それはつまり、貴女はこの流れている曲が誰の作った曲であるのか思い出すことができないということですか?」  繰り返さないで 「成る程、私は解っています。貴女は私に貴女の台詞を繰り返さないことを望んでいるのですね?」  ああもう 「私は貴女の考えていることを知ることができます。私は貴女が私にこう言いたいのだろうと知っています『医者は何処だ!』」  医者に掛かったほうがいいのはあなたよ 「貴女は私が医者に掛かったほうがいいと勧めた。それならば、私は貴女の安心のために医者に行きます」  そうして頂戴 「       」  本当に行ったの 「  」  ああ 「   」  そっか 「        」  亜麻色の髪の乙女、ね。いつかどこかで 「私は、貴女が推測した、その曲がドビュッシーの亜麻色の髪の乙女である、ということについて賛同します」  そう 「貴女が残念そうな顔をしているように私には見えます」  残念よ。あなたがまた戻ってきたんだから 「私は貴女が残念に思っているのは私が戻ってきたことについてではないと思います」 「私は貴女がまたこの曲を耳にしたことについて残念に思っているのだと思います」  そう 「私は貴女がその昔この曲が流れる場所を通過したことを知っています」  どこの曲だか思い出せない 「私は貴女の言うその曲が『ふきの塔』で流れていたことを知っています」 「    」  忘れたわ  彼女は物音に気付き、鍵穴のあったはずの場所を睨みつけた。そこには白衣にヒヨコ頭の中年男がおり、口元だけをぼんやり恍惚にゆがませ、 「好ましい、素晴らしい、眺め、だ」  とだけ呟いた。 「それは結構ね」  そう切って捨てた彼女に対し、男は目を輝かせて部屋の中に入り込む。 「何の用よ、変態」 「『学術的』興味、だ」  変態と呼ばれた男は迂回しながら彼女の元へ歩み寄る。その彼の目元は凍りついたかのように表情を持たず、常に彼女を見つめたままだ。 「『変態的』の間違いでしょ」 「ヒロコ君は、そう、思うか。そう、かもしれない」  男は口元を大きく開けて笑った。鼻から上の凝り固まった視線に、彼女は思わず視線を外す。 「なら、そのようにしよう、か?」 「遠慮しとくわ」 「つれない、人だ。あれほど血を抜いたというのに、まだ目に、力がある。力、力は美しい」  口を尖らせいじけたように男は言い、ニヤニヤと笑う。 「褒め言葉として受け取っておくわ」 「そう、とも。そうとも。ヒロコ君は、美しい。触ってもいい、かい」  彼女が拒絶の視線を向け、本能的にその身を仰け反らせると、男は悲しそうに口元をゆがめた。 「残念、だ」  だが、と男は付け足す。 「私は、悪人では、ないから。君の嫌がること、は、しないよ」 「善人でもないでしょ。自分の手を汚すのは嫌でも、汚れたものを見るのは好きなのね」  男は彼女の発言に震え上がった。嬉しそうに震え上がり、そして悲しそうに震えて、骨の浮いた手で彼女の足かせを触った。 「私の趣味、だ。いい、だろう?」 「やっぱりアンタの趣味か」 「通じて、るね。私とヒロコ君は通じてる」  男は足かせの重りを少しだけ持ち上げて、そのまま落とす。彼女の足に鎖の振動が伝わった。 「冗談じゃないわ……」 「私は、冗談は言わない、よ」 「存在自体が冗談みたいなもんでしょうが、変態」 「は、は。面白い、興味深い、とっても素敵だ」  男はひとしきり肩を震わせ、ひいふうと息を吐く。 「いつまでも、話してたい。けど、私を待ってる、子、がいるんだ。行、く。探す」 「どこへとでもさっさと行って頂戴」 「その前、に。一つ教えたくて、来たん、だ」  女は眉をひそめた。 「高梨ヒロキ君。君の、弟? も、状況を荒らすから、捕まえたほうが、いい、か? って」 「!」 「決まった。君のノート、使わせてもら、った。彼、中々捕まらないから」 「ヒロキ」  男は口元だけでニヤニヤ笑って、踵を返した。 「近いうち、に、逢えるよ。楽しみ、だ、ね」 「ヒロキ……」  俺、高梨ヒロキは不毛な現場検証を繰り返している途中だった。  五所瓦組の情報を元に、ゲーム開始から今までにこの灰色ヶ原の街中で起きた暴力事件の現場を一々見て回って、何か残っていないか、怪しいものが都合よく落ちていたりはしないか。  もちろん、既に終了した案件ばかりで証拠などあろう筈がない。不毛とは知りつつも、俺は仕方なく目の前の作業をこなしていたわけだ。  ぶー。幾つ目かの公園に辿り着いたとき、その音がした。不正解の音ではない。単なるバイブ音だ。もっとも、眼前に広がる公園に正解がありそうには思わないが……遊具もまともにない、ベンチと公衆便所がある程度の代物だし。  携帯には、一通のメールが着信していた。 『携帯探しの調子はどう?  ヒロキに任せてしまって申し訳ないと思ってる。  ろくに話もできずに居なくなって御免なさい。  明日の朝、私の家まで来てもらえる? そこで逢いましょう』  それは姉貴からのメールだった。俺は慌てて返信を打ち込もうとして、はたと冷静になる。  待て待て、そんなうまい話があるか。ドアを外すほどの乱暴さで居なくなった姉貴が、あっさり戻ってくるなんてことがあるだろうか? 第一、そうだと言うなら。  俺は公園のベンチを陣取って、ポケットからメモを取り出した。小奇麗だったそれもくしゃくしゃになってしまっていたが、姉貴の残したメモ一枚だ。目下最重要の証拠品と言える。 『ヒロキへ エリナーを探して 私は大丈夫』  エリナーを探して。端整な字で(だが少し焦っているように見える)確かにそう書いてある。  このメモを見つけたときから、ひっかかっていたことだった。なぜ『エリナーを探して』と姉貴は書き残したのか? なぜ件の携帯ではないのか? 俺は書きかけのメールを消去し、携帯をポケットにぶち込んだ。  携帯を手に入れることが目的ではない、ということ。夢子は告げた。『エリナーさんは、貴方風に言うならばトトさんの弱点でしょう』。 「すまん、姉貴。流石に引っかかってやれない」  俺はそう誰にでもなく謝って、 「姉貴はトトが誰かを知っていた。良く知った人のようだった。姉貴は……きっと、トトを探していた」  そう考えれば筋道は通る、はずだ。俺はこの時点をもって、とりあえずその推論に納得することにした。