B40 絵空つぐみ  例えばヒーローはヒーローでも、十中八九カオスヒーローだ。  夢子の声色、いつでも嬉しそうにか弱そうに善意を騙るあのエロっちい声を俺は脳裏から放逐する。あの女は常にエキストラ、NPCでありたがる性癖を持っている。今回の件で関わることはないと信じよう。NPCならそれらしく駅前で「ここは はいいろがはら のまち だよ」とでも言っていればいい。  例のゴンザレス(この後の話がなければ何のことかわからないが、2の方と言えば多分明快だ)はつい隙をうかがう俺の悪癖を視線で制したり銃口で制したりしながらも、完璧なまでに無口だった。角ばると防御力が上がるらしいが、角刈りだと口も堅くなるのかね。ちなみに丸くなっても防御力は上がるぞ。  すっかりゲーム脳に成り果てた脳内世界はさておき、現実のほうは色気のさっぱりな白いバンに詰め込まれて兄貴のお膝へ宅配、五所瓦のあの統一感のないイタリアンやくざの門を潜ることと相成っていた。  俺と兄貴の縁を説明しておこう。と言っても単純な話だ。  高校行ってたときにちょっとしたやんちゃをしたら、その相手が五所瓦組のそこそこ重要な人だった。発端はただそれだけだ。思えばその当時から巡り合わせの悪さはずば抜けていたように思う。それを姉貴は「アンタはいつかヒーローにぶちのめされる星の元にいんのよ。死亡フラグだけは絶対吐かないでよ?」と茶化していたが、今となってはその台詞が心に染みる。塩水的な意味でな。  そんな絶望的な出会いなら償い取らされた上に前科の一つや二つ擦り付けられそうなもんだったのだが、そうはならなかった。それもひとえに健のお陰だ。まさかあの無口でパッとしない友人が、まさか五所瓦組の跡取り息子だったなんて、今聞いても都合が良すぎた。  健の助け舟により、何とかタダ働きで済まされることとなった俺は、まあ色々雑用だの掃除だの運びの手伝いだの暇潰しに銃の手入れの仕方を習うだのして無罪放免で釈放(実際はどちらかと言うと罪を重ねたものだが、前科に傷は付かなかった)。それ以来も一度関わったからには時々呼ばれて、一般人でもできそうな、あまり迷惑にならなそうな仕事を中心に回してもらっている。  敷地の中では顔パスだった。俺だと認識すれば、若い奴以外は大体視線を反らす。小鳥か何かが庭をほっつき歩いているとでも言わんばかりの扱いだ。最近は堅気に戻りつつあると思っていたのだが、残念ながらそれは俺が平和ボケしただけに過ぎないということなのだろう。 「親分。高梨ヒロキ、連れてきました」  やっと声を出したと思いきや、それは任務完了を告げる事務の台詞であって、俺に告げられたものじゃない。掛けられていた圧力が急激にしぼんだので、俺は息をつく。トップより部下の前のほうが緊張するってのはどうなんだろうな。  御苦労、と兄貴は視線で伝え、ゴンザレス2は素直にその場を退いた。視線の移動はほんのわずかなもので、再び兄貴の視線は先客に注がれる。 「それでは、宜しく頼む。と言ってもしばらく自宅謹慎だがね。携帯の電源は切らないように。どんな番号でも一度は取るように」 「わかりました。では、宜しくお願いします……それでは失礼します」  ちょうど話が終わったところらしく、先客は席を立って俺に向き直る。俺より少し上の年代の男だ。くたびれたコートを片手に、俺を瞬間的にまじまじと見つめた。コロンボか? いやちょっと違う。あれはレインコートだし、失礼ながらカミさんの話をするほど女っ気がありそうには見えない。  場には慣れていないように感じる。これは同類だな。一般人には違いないのに、運良くあるいは運悪く片足突っ込んでしまっては二進も三進も行かないタイプ。もしかすると、用件さえ同じかもしれない。  そんな風に俺が思っていると、その男は「同類じゃない」とでも言わんばかりに静かに顔をしかめ、ゴンザレス1に先導されて部屋を後にした。  なんだありゃ。  その男を一通り見送ってから、銀次の兄貴は改めて張り付いたような笑顔で俺を迎えた。 「やあ、ヒロキ君。久しぶりだ」 「街のチンピラに何の用ですか、銀二の兄貴は。運びはしませんよ」 「君に自由があるのは、私の用がないときだけだ。つまり、今私は君に用があるってことだ」  英文直訳みたいな言い回しをもってして、兄貴は俺に事情聴取カオティックバージョンへの参加を強制した。 > > トト > > 虚構=想像の世界⇔現実世界 @行き来できる?orAしたことがある? > > WllWMIIlMMW…… > > とっておきの秘密←創造する力について? >  トトにまつわる一通りの事情説明を終え、現実の浅瀬に戻ってきた俺は今まで言ってきたことを整理する。別に自白剤を投与されて恍惚のうちに正座し続けたとかそんな物騒なことではなく、覚えていることを息付く暇もなく述べていただけだ。  楽してお金の電話から始まり、トト、とっておきの秘密、例のウエイトレス、吸血鬼、白い携帯電話、草吉メイコとか言う二人組、いちごぱへ。遺された姉貴の部屋とぱんつ、失われたパソコム、依田夢子、エリナー・リグビー、ゴンザレス2、五所瓦組、そして金色のかぶとむし(アシカがそれに該当)。  どうせ一部だか全部だか隠したところで、整合性が取れるほどの隠蔽材料もない。俺は知っていることをネタバレ覚悟で洗いざらい述べた形になる。そもそも、トトについて俺が何を知っているって言うんだ。姉貴に誘われて今の今まで、自発的な行動なんてマゾ女と禅問答したくらいなもんなんだぜ。  そうして俺が現在まで戻ってくると、一冊のノートが俺の前に差し出される。その小奇麗な字はどこかで見覚えがあった。  ノートが開かれ、トト、で始まったそのページを俺が目を通す。どこかの作家のアイデアノートみたいな内容がつらつらと書かれていた。 「君は、健の友達だね」  兄貴はそれを強く念押しした後、彼がこの世を去ったことと、その経緯、そして遺された手がかりがこのノートであることを丹念に語った。そして俺は納得した。このノートを書いたのは健だ。特徴のない字だから判断付かなかったが、言われて見れば確かにそうだ。  健が死んだ。本当に死んだらしい。あっけなく、俺の知らないところで、俺の知らない死に様で。  これ現実? てかジョーク? 現実感が一切ないんだが、これは何だ。どうリアクションしたらいい。健だって素人じゃないし、若いじゃないか。なんだってんだよ。こんなとき、姉貴ならどうする?  息を飲んだ俺は、ふと遠のきかけた意識を握り締める感覚に、温感で伝わる血のめぐりと心臓の鼓動に気を取られていることに気が付いた。現実はいつだって非情だ。でもこういう意味じゃないだろ。俺が現実を受け入れるために時間を下さい。あと現実感を出すための技術を下さい。 「このトトという人間がゲームの勝者の願いをひとつかなえる、という意味なのだろう。健はそう推測したに違いない」  兄貴は強い人間だ。あるいはこの世界で手に入れたものなのかもしれないが。俺は自分が標準より弱いなんてこれっぽっちも思っちゃいないが、兄貴ほど毅然とした態度で居られず、健のノートをじっと見つめて、 「信じがたいことですが、俺も……考えるのは俺の仕事じゃないですけど、そう思います」  彼が考え、俺が動く。もしかしたらありえたかもしれない未来の話から比較級(考えるのは誰の仕事か?)が不意に去来するが、俺はぐっとこらえてこの程度に抑えた。 「そんなことはどうでもいいのだが。問題はその女だ。君としてはウエイトレスとして出会った……君のお姉さんを突き飛ばしたという女だ。君なら解ってもらえると思うが、私はその女を許すわけにはいかない。君も同じだと、私は嬉しいのだが」  極めて強い意志「協力しろ」を表す台詞に、俺は若干身を怯ませてしまった。 「先ほど君の前に客がいただろう? あれにも同じような用件を伝えたのだが、君にもそれを手伝って欲しい」  やっぱり同類だったか。俺は素直に頷いて見せた。 「といっても、君もお姉さんのことが気になっているだろうし、君にはそのついでとしてで構わない」  兄貴は今日始めて優しく笑った。こうして見ると、やっぱり健の親父だ。 「我々はあの女を地獄の果てまでも追わなくてはならないが、君にまで強制する権利はない。これは私の、親としての個人的な願いだ、ヒロキ君。君がもし、君のお姉さん……ヒロコ君と言ったね。彼女を探す過程であの女に会うようなことがあれば、これを使って欲しい」  兄貴が部下に言いつけて持ち込ませたのは、量産品のプラスチック・オートマチックだった。行きがけに突きつけられたのと同じに見える。 「本来は生け捕りを命じたい。だが、君にそこまで頼む気がどうしてもしなくてね」 「撃て、と?」 「もちろんいざとなったらで構わない。むやみやたらに撃つことはないだろうが、そうされてしまうと幾ら我々でも君を始末しなくてはならないし」  差し出された拳銃を手に取り、俺は懐にしまうかテーブルに戻すか、それを躊躇った。 「君の護身の意味も込めてね。相手は手馴れだ。君がもし危機を感じたら、あるいは感じなくても、そうすべきだと判断したら使ってくれ」 「わかりました。ありがたく受け取ります」  俺は緩慢な動作で拳銃を懐に……どうやっていれようか。ゴンザレス2がすかさず小さなバッグを持ってきてくれた。  これにて用件は終了ということか、兄貴はそれで話を打ち切った。結構精一杯なんじゃないか、と俺は睨んだが、実際のところはよくわからない。親心なんて知らねえしな。  健の代わりにはなれねえし、多分そういうことを望んでるわけでもない、が、お守りをくれただけでも人の子か。  その後ゴンザレス2に代わって見知りのメンバーと少しばかり会話をして、この界隈で起こった暴力沙汰についての情報を俺は集めた。現時点ではろくな収穫には思えないが、一つ一つ当たっていけばもしかするとこのゲームに関連した事件があるかもしれない。学校で暴れただの、ファミレスで暴れただのという話。最近良く人が人にぶち当たってるらしいが、心当たりもあるしそこら辺はスルーすることにした。  吸血鬼についても当たってはみたが、売血のバイヤーだのそこら辺の話しか聞くことはできなかった。一応メモはしておいたが、吸血鬼が血を売るかね。吸血するくらいなんだから自分で飲めよ。  後はみみっちい軽犯罪各種。万引き、スリ、ひったくり、露出、福耳がペルソナに目覚めたその他。これは別に俺が聞きたくて聞いたんじゃなくて、単に話の流れで冗談として教えてもらった程度のものだ。何か正義の変質者が出るらしいぜ。さすが灰色ヶ原だ。  しばらくして、日が暮れきらないうちに俺は一家の門を出ることと相成った。  空の色は屋敷に入ったときと随分変わっていて、俺は現実感のないままに長い時間を失ったような気がしていた。  ──姉貴は、大丈夫だろうか。  銀次の兄貴が最後に現れて、「撃てるね?」と問い掛け、俺が「撃てます」と返したことを、付け加えておこう。ついでに例の先客(名を村正と言うらしい。なんか探偵らしい)の番号を教えてもらった。連絡と顔合わせくらいしておけってよ。あとで掛けるとしよう。