B31 絵空つぐみ  エリナーを探して。姉貴はそう書置きを残し、忽然と姿を消した。  一通り姉貴の部屋を家捜しした俺は、大した戦果も得ることができず(出てくるもんはぱんつばかり。本当にあそこに住んでんのかあのアマ)出掛けに丁寧に隠蔽工作を施し「私、高梨ヒロコは自分探しの旅に行ってます」的な状態に仕立て上げてきた。あの様子じゃ新聞も取ってねえだろうし、多分一月くらいいなくても誰も疑問に思うまい。余程御近所さんと綿密な付き合いでもしてない限り。してねえだろ。  現実の姉貴は晩飯の買出しに行っただけで、あいつの気まぐれに仕掛けたドッキリに俺は引っかかった。とかいう話だったら世の中平和だと改めて認識しつつも姉貴と大戦争が勃発する切っ掛け足りうるわけだが、現実は非情である。俺が家捜しした数時間で姉貴が帰ってくることはなく、日が暮れて最早不審者と犯罪者の時間帯となってしまったので全力で退却することと相成った。最近ここいらに変態紳士が出るとか出ないとか言うし。もちろん身の危険は特に感じない。  もしこの世界がゲームの中なら、多分そろそろそこら辺の通行人(日が暮れてしばらく経つのに飽きもせずに突っ立ってる)から「大変大変王様がこんな姿に変えられちゃった」とかそういう話が聞けるはずだが、やっぱり現実は非情である。そんなことがあるわけもなく、魔王だの吸血鬼だのはたまた神様だ英雄だのの厄介ごとに巻き込まれねえことと引き換えに、現代の人間は永遠のお使いイベントリレーを消化中という鉄壁の按配。一応の繁華街、駅前通りに戻ってきた俺を迎えるのはみな俯き加減で辛気臭い顔ばかり。突然話しかければ「何それ怖」とか返って来るのが想像に難くねえし、その街行く人々には俺も含むわけだ。当たり前のように。  かといって、血の繋がった姉のぱんつ──じゃなくてピンチに、何もしねえっつうのも、それはそれでどうかと思うわけだ。  白い。いたるところに霜を生じさせているためだ。白いのも、凍り付いた水に含んだ空気が気泡となって、……そう、氷に色はなく、空気との境界にこそ白は生じる。ミクロだがシンプルな屈折と反射の世界。中学理科。  だがしかし俺は知らず、雪とは氷とは白いものだと「そのとき」信じている。忘れていたのかあるいは知らなかったのか。どちらにしたって、「そのとき」俺を支配していたのは、敗北に対する劣等感や嫌悪の類ではなく、遺した幾つかの財宝のことでもなく、原始的な痛覚とそれに付随する疑問──  雪、とは冷たいもののはずだ。だが、熱い?  今ならわかる、それは「傷」だ。俺は全身に傷を負い、生暖かい血で雪を溶かしながら、ゆっくりと歩いていたのだ。  洞窟はじきに外へと通じる。が、その先には真っ白な吹雪しか見えない。空気を含んだ雨と風の氷結が、堕ちる俺に止めを刺した。どこかで神様の声が聞こえる。『まだ燃えてるよ』と。  夜通し照らされて、夢見のいいはずがねえ。ブラウン管の電子音が、粗末なパーテーションの中で羽音じみて響いていた。俺はアイマスクをキーボードの上に放り、「彼女の家」の状況を再確認する。ネカフェ。蛍光灯の清潔感の裏に、この世の色々なものが吹き溜まっては流れていく、現代の貧民窟のひとつだ。  俺が仮眠を取っている間に、「家」の主は来客に呼応し、彼女は反応していた。寝ぼけていた俺を急かすでもなく、爛々と提示される存在だけで圧力をかけている。知ったことか。  残念なくらいのパワー系として通っている俺だが、別に機械音痴でもないし、一端に文明の利器くらいは使える。原始人じゃねえよ。ただ、インターネット・ミームには詳しくない……餅は餅屋、つうわけだ。「私達の姫様は他のお城にいます」なんて懇切丁寧に教えてくれるキノコの小僧がいねえなら、少しでもその業界に詳しい奴に当たるほかない。 夢子:珍しいですね。ヒーローさんがヒロインさん抜きで私を訪ねるなんて、天災の前触れでしょうか  ふざけたあだ名だ。俺は眉をひそめながらタイプする。 雪:誰がヒーローだ。貸しを返してもらうぞ、依田夢子 夢子:ヒロキさんだからヒーローさん。ヒロコさんだからヒロインさん。ちょうどいいじゃないですか  何度も聞いた台詞が瞬時に転送されてきて、底意地の悪さをうかがわせる。この問答を予見していたのだ。  ちなみに雪とは俺のハンドルネームであるが、特に意味はない。若干可愛らしいのは姉貴が勝手につけたからだが、本名でうろうろする界隈ではないのでそのまま流れで使っているだけで、俺の趣味とは一切関係ない。 雪:腐れ外道め 夢子:どういたしまして、ヒーローさん  時々思う。この女のタイピング速度は異常だ──もしかして、一昔前にはやった人工知能とかいう奴じゃあ、ないのか? 夢子:それでは、今日はどんな奉仕(サービス)がお望みでしょうか、ヒーローさん。女か、武器か、情報か、それとも 雪:トト 夢子『携帯電話ゲーム』『とっておきの秘密』の件ですね。加えて『エリナー・リグビー』についてもお望みでしょうか  夢子は俺の2文字タイピングに対し、まるで思考を行わなかったかのような速度で完全な応答を見せた。 雪:早くしろ 夢子:お気に召すまま 夢子:結論から言えば、トトさんは貴方の半径10キロメートル以内にはいるでしょう。エリナーさんもそこにいます  大雑把だ。トランクスがぱんつだって言うくらい大雑把だ。話に絡んでるなら10キロくらいにそりゃいるだろ。 夢子:場所は明確ではありませんが、ヒロインさんは無事です。ですが、貴方が逢うことは叶わないでしょう 雪:それは 夢子:貴方がヒロインさんに逢うとすれば、それはこのゲームの終わったときです 夢子:ヒロインさんはトトさん自身の命によって、トトさん以外の誰かによって捕まえられました 雪:トトを捕まえれば姉貴は帰るか? 夢子:帰るでしょう 夢子:エリナーさんを探せば、トトさんとヒロインさんは同時に得られるでしょう。しかしながら、トトさんを探してもエリナーさんは得られないでしょう 雪:わけがわからん 夢子:トトさんは常に貴方を見ています。トトさんはこのゲームに関わる全ての人間を見ています。貴方が探しにいったところで、トトさんは姿をくらますでしょう 夢子:ですが、トトさんはエリナーさんの前からは決して姿を消しません 夢子:そして、トトさんはエリナーさんの行動を決して咎めはしません 雪:つまり、エリナーを捕まえれば 夢子:ゲームはそのとき終わるでしょう。トトさんの終わらせ方ではなく、エリナーさんを捕まえた方の終わらせ方で  エリナーとは、トトの弱点なのか。俺はそんな風に漠然と考えて、 夢子:エリナーさんは、貴方風に言うならばトトさんの『弱点』でしょう 雪:そうか  俺はいっそ気にすることなく条件反射で先を急かす。 夢子:エリナーさんの情報は不足しています 夢子:エリナーさんはこの種のネットワークを利用しないタイプの人間のようです 夢子:その代わりに一つ指針を与えましょう。銀次郎さんのところへ行きなさい 雪:おいちょっと待て 夢子:直接ではありませんが、あの方もこの件には関わっています 夢子:気が立っておられるようですので、慎ましやかに行ってきて下さいね 夢子:例え貴方が行かなかったとしても、彼の目はファミレスでの一件を見ています。近々向こうから話も来ることでしょう 雪:わかった  俺はキーボードの前で頭を抱えた。そりゃ他人じゃねえよ。昔は兄貴分みたいな感じで一緒に居たこともあるが、俺は単なる運び屋だったり雑用で付き合いがあるだけで、特別危険な仕事をしてるつもりもねえ。前科ゼロ犯のチンピラまがいと本職だぜ。住む世界が違えよ。 夢子:申し訳ありませんが、今日はここまででお願いします 雪:な 夢子:本日の御利用代金は4248円でしたが、貴方の言う『貸し』に免じて無料としました 夢子:さようなら、ヒーローさん。またの機会をお待ちいたしております 「動くな」  俺はすっかり気が付かず、振り向きざまにその頭を銃身で制された。  胸元に「ゴンザレスの大冒険2」と洒落たプリントのされたTシャツの男が、俺のこめかみに安物の小口径プラスチック・オートマチックを向けている。幾ら安物と言えど、頭蓋を一直線で通り抜けたらタダで帰れるわけもない。 「わーってるよ。銀次の兄貴だろ」  ゴンザレスは重々しく頷いた後、端末の電源をきちんと切らせてから、俺を立たせて出口へと引っ張っていった。会計が浮いたことだけは感謝しておこう。