B12 絵空つぐみ 「いちごぱへ食べたかった」 「苺パフェ?」 「いちごぱへよ」  本題に入る前に、姉貴はそんなことを愚痴った。 「アンタの運は私も当てにしてるのよ」  ウエイトレス(向こうのそばかすのではなく、他のウエイトレスだ。そばかすのは、まだ向こうの席で話をしている)が去ったのを確認してから、姉貴はようやく口を開いた。結局姉貴は苺パフェを頼まず、それどころか「後で」と言いはって注文の一つもしなかった。 「アンタのむやみやたらに舞い込む幸運はいつだって私を幸せにしてくれないけど、わりかし便利なのよね。コトが進むって言うか」 「人をラッキーマンみてーに言うな。てかそれ褒めてねえだろ」 「何言ってんのよ。私が素直にヒロキを褒めるはずがないじゃない」 「かー」  ありえねー。これが血の繋がった姉と弟の会話だろうか。  そう思って俺が口を尖らせていると、姉貴はそこで意味深に笑い、お冷に口を付けて「私はいちごぱへが食べたかったのよ」と呟いた。姉貴はどうやら本当に『いちごぱへ』に御執心らしく、俺を一瞬だけジト目で睨むことはしっかり外さなかった。大方、勘定を俺に押し付けて食うつもりだったんだろう。  一つ咳払いをして、姉貴は話を強引に戻した。 「本当、アンタは運が良すぎるのよ。何から話したらいいのかわからないんだけど、そのせいで手早く説明するハメになったわ」 「『運が良すぎて』?」  姉貴は「そう」と頷いて、それから目をすうっと細めた。視線だけで例のウエイトレスを見、そして俺をじっと見つめる。 「まずは、気付かれないように。声のトーンを落としなさい。そして、くれぐれも気付かれないように、よ。さっきアンタが見ていた、ウエイトレスと二人組、顔を覚えなさい。話はそれからよ」  疑問符を大量に浮かべながらも、俺はその言葉に従った。どことなく態度の悪い学生の男女と、注文を取っている風のウエイトレス。もっとも、先ほどからの経過を見ている俺からすれば、注文を取っていないのは明らかであり、どう考えたって職務怠慢だ。その職務怠慢ウエイトレスは時折怯えるように辺りを窺っているが、姉貴の忠告のお陰で俺は気付かれないで済んでいる。  彼らの話題は、机の上の分厚い茶封筒と、今、それが持ち上げられた下から出てきた二つの白い携帯電話。 「で」  俺が相槌を打つと、姉貴は頷いて続きを話し始めた。 「私達が臨時収入にありつけるかは、多分、あのウエイトレスをどうにかできるかに掛かってんのよ。アンタが御執心で眺めてたお嬢ちゃんに」  応戦するでもなく俺は頷いたが、別に同意したからというわけではない。この程度でへこたれるほど柔じゃないが、誤解されるのも困る。姉貴は声のトーンを更に落とし、口元をお冷のコップで覆いながら続ける。 「正確には、あのウエイトレス、本人には用はないわ。アイツの持ってるだろう携帯が重要なんだけどね。彼女は多分、白い携帯を持ってる……それが問題なの」  そこにアイスコーヒーが届き、姉貴はポーションを二つも入れ腐った。 「端折って説明するわ。発端は、トトを名乗る人物が、一つの携帯をこの街に流したこと。『次の満月の夜、その携帯に掛かってくる電話を取ったものに、私の知りえたとっておきの秘密と、少しばかりの賞金を与える』ってお触れつきでね。額は少しばかりなんてもんじゃないけど」 「『とっておきの秘密と、賞金』? その携帯を持ってた奴に? 随分と眉唾物の話だ。そのトト、とやらに全くメリットがないように思うしな。そもそも、トトって何だ。便器か」 「下品な話に向かうのは悪い癖よ。……そりゃ、私もそう思ったことはあるけど」  姉貴はモゴモゴ言いながら「ああ、もう。脱線しないの」と唸り、 「眉唾だとも思ったわ。でもトトは『面白ければいい』って言うのよ。そう聞いてる。……今は詳しく説明してる状況じゃないから、後で必ず説明するわ。だから今は私を信じて頂戴、ヒロキ。これは信頼できる情報なの」  珍しくしおらしく言った。俺の経験則からすれば姉貴の判断基準は真実を表すが、常識的にはどう考えたって詐欺だ。 「携帯を手に入れた人物は、その時点で必ず一度、携帯からウェブサイトで名乗りを挙げなければいけない決まりになってるの。その名乗りは本名でなくてもいい……けれど、トトはいつだって見てる。そして名乗り上げた当人について、付かず離れずの情報をばら撒いて遊んでるのよ」  なんてアホらしい話だ。『面白いから』ただそれだけのために、そんな手の込んだことを。 「そして、トトが示すには、今その携帯を持っている人物はクリシュナってハンドルネームの、そばかすの女給仕。他にも色々ヒントはあったけれど、この地域で、条件に当てはまるのは何人かだった。……そこで、ヒロキに絞込みを手伝ってもらおうと思って呼んだんだけど」  姉貴はそこで嘆息を一つ。 「でも、今、あのウエイトレスは、明らかに不審過ぎるわ。携帯を隠すために手を打とうとしているように見える。それってつまり」 「あのウエイトレスがクリシュナで、今携帯を持っていて、第三者に渡して隠そうとしている」 「その可能性が一番高いわ。必ずではないけれど」  姉貴は俺の同意に対し、獲物を見つけた捕食者のように喜んだ。確かに必ずではない。「名乗りを上げなかった場合」だって十分に考えられるのだ。そう考えると、とても適当なルールだ。ところで、クリシュナって何だろう。どっかの魔王か何かだろうか。 「トト曰く、『携帯の収受には超法規的手段が許される』って話。でも、そうね。フェアじゃない方法は、あんまり好きじゃないわ」 「超法規ならいいじゃねえか」 「そんな理屈じゃないのよ」  姉貴は溜息をついて、「悩みなさそうで良いわね」と付け加えて、 「ともかく、その。殺しはダメよ。盗みも恐喝も最後の手段にしなさい。まずは、説得。いえ、買収をしてみようと思うの」  そんな甘っちょろいことを言って、優しそうな作り笑顔を浮かべた。これだから姉貴って奴は。 「クリシュナさん」  頑張ったんだな、と思えるくらい優しげな猫撫で声は、後ろにいる俺が恐れをなしたくらいには怖かった。かえって逆効果だ。後方にいてそんなくらいなのだから、前方にいた、それも背後を取られたウエイトレスの心労たるやお察しできない。当然のように彼女は震え飛び上がった。  ただ、それにしたって反応が過剰だったことは確かだ。  そんなことを気にする風もなく、あるいは心の中でこっそり嘆き悲しんでるのかもしれないが、姉貴は容赦なく続ける。 「ハンドルネーム、クリシュナ。あなたの事だというのは、既にこちらで調べがついてるのよ」  姉貴がきっぱりと宣言すると、まるでウエイトレスはネズミみたいに逃げ腰になり、彼女が落としたトレイが床に当たって盛大な音を立てた。あまりに反応しすぎている。嘘に慣れていないというだけじゃない、と俺は直感した。何かとても重大なことを隠しているのだ。 「ち、違う! 違います! 私はクリシュナじゃない! "アレ"は私の事じゃないわ!」  金切り声で否定するも、そこに説得力などあろうはずがない。姉貴は一通り弁解を聞こうと黙ってみていたが、 「さあ、お客様、他のお客様のご迷惑となりますので、お話し合いは店の外でお願いします!」  先に手を打ったのは、意外にも職務怠慢狂乱ウエイトレスのほうだった。 「……お、おうおう!頼まれたってこんな店、一秒だって居やしないわよ!来なさい、草吉。話の続きよ!」  ウエイトレスに比べればまだマシな演技で、少女のほうが口を開いて、学生の二人組はそろそろと姉貴の横を通り過ぎようとする。 「待ちなさい」  俺が口を挟むまでもない。姉貴が通してくれるはずもなかった。姉貴は反応に機嫌を損ねたらしく、語気は強くなっていた。 「あなた、さっきこの子から何か受け取ったでしょ?」  目に見えて場が凍りついた。ウエイトレスは明確に焦ったし、学生二人にも心当たりがあるようだった。お互いに顔を見合わせたところ、 「……あなたたちも、吸血鬼どものイヌかしら?」  姉貴は、そう付け加えた。  吸血鬼? レオニード伯爵の類か? ……ああクソ、説明されてねーじゃねーか。 「ふ、二人とも、逃げて下さいっっ!」  ウエイトレスが叫び、あろうことか姉貴に向けて猛然と体当たりを食らわせた。見事に姉貴は不意を付かれ、体重の乗った肩からの体当たりが、一回り背の高いはずの姉貴をよろめかせた。姉貴はテーブルの角に肘を突き、そのままテーブルごと、ぐらりと倒れる。  ああ、こりゃダメだな。角度とか計算されつくしてる。腰骨を強打して、どうあっても十秒は動けまい。  けたたましい音とともに料理と皿とが辺り一面に飛び散った結果、姉貴は偶然にもテーブルに載っていた『いちごぱへ』まみれになり、ファミレスは本日何度目かの静寂に沈んだ。良かったな、姉貴。念願の『いちごぱへ』を手に入れたぞ。 「逃げてください! 早く!」 「痛っ……この……ひ、ヒロキ、捕まえなさい! 携帯よ、携帯! 携帯を奪うの!」  予想通り腰を強打した姉貴はすぐには動けそうもなかったが、駄目押しで職務怠慢狂乱暴力ウエイトレスが脚にすがりついたから、もうどうにもならない。女性同士が絡み合うのは結構だが、場をわきまえることくらいは要求したっていいんじゃねえかな。俺はそんな考えを過ぎらせながら、姉貴の罵倒染みた指示を聞いていた。  納得いく説明の一つもないのは仕方ねえが、みすみす儲け話の片鱗を見逃すのも性に合わない。そうと決まれば、話はそれほど難しくはない。携帯の一つや二つ奪い去る方法なんて、もともとそれほど多くはないのだ。  そこまで結論付けるのに二秒ばかりを要してしまったが、追いかけるには問題ない。今までただ無為に観察していたわけじゃないのだ。  ……しかし、どうにもならない点が一つあるのに、俺は気付いていた。 「携帯は『二つ』あった」  そうでもなければ、携帯をどちらが持っているかなど、一目瞭然だった。良い手だ。  恐らく二人の中で主導権を握っているのはセーラー服のほうだ。恐らくは、わずかにしても年上で、様々な人間と相対している経験を持っている。一方の学生服のほうは、物事を強力に推し進める素質こそありそうだが、まだ学生らしく原石バリバリといったところだろう。  その評価に従えば、素直にセーラー服を追いかけるほうが正しく、俺のスタミナを温存する意味でも正しい。が、本当にその選択で良いのか? 俺は判断しそこなっていた。経験の量が、必ずしも能力を表すわけでもない。それに、彼らは果たして信頼関係だろうか? そうは、見えなかった。  街路に走り出たときには、俺は諦めにも似た感情を抱いていた。割に合わねえな、こりゃ。  走っても間に合わないとかそういうことじゃない。スタミナとスピードにはそれなりに自信があるから、この程度なら追いつけるだろう。  ならばなぜ割に合わないのか。それは、いざってときの俺は決まって不運で、『いちごぱへ』まみれの姉貴は、そのことをすっかり忘れてやがるからだ。