A57 奥山 キイチ  ごぶさたしてます、一見草吉です。なんとか生きてます。  ……りそなに捕まってどのぐらいの時間が過ぎただろうか?数時間?丸一日?  彼女は彼女で“順序”というものを心得ているらしく、俺の体は彼女のオモチャとして破壊されつつも、未だなんとか原型を保っているようだった。  ――あるいは、原型を保っていると思いたい、のかも知れない。  のそのそと部屋の中を歩き回るりそなの行動など一切意に介さず、胸中はいやに静まりかえる。  覚悟とか、諦めとか、そういうものとは違う、徹底的な無感覚。  きっと、あまりの辛さと苦痛に、自分自身の状況を信じられないのだろう。  そしてこの先、どんな未来が真っ暗な穴を広げて、自分を飲み込もうと待ち構えているのか……俺は何も考えたくなかった。  と、そのとき。 「ちわーっす」  耳慣れない声が聞こえ、俺は思わず顔を上げた。  視界に入ってくるのは、やはり見慣れない小さな女の子の姿と、件の鬼畜女りそな。  ……やけに親しい挨拶をするところを見ると、知り合いだろうか? 「……こんばんわ。どちら様?」  と、不気味なまでににっこり笑って答えるりそな。  小さな女の子は知り合いでは無かった。が、りそなが顔色一つ変えないのは自信か、ハッタリか、あるいはただの狂人なのか。  俺はと言えば、訪れた希望のまぶしさと唐突さに、疑心暗鬼。  小さな女の子はちらっとこちらを振り返り、何かを喋ろうとして、笑ってごまかす。 「……あはははは」  小さな女の子の乾いた笑い声だけが部屋に響いたが、空気は張り裂けそうなほど凍り付いていた。 「前衛的なインテリア!ですよねー」  と、小さな女の子。 「遮光性を気にしない、防音性に優れた板張りの部屋。部屋にちらばる……血まみれの工具。そんでもって、血まみれの……男子高生」  りそなは女の子の言葉を聞きながら後ろ手にドアに鍵をかけ、部屋の隅に置いてある木の椅子に腰をかけた。  その間も、りそなはどす黒い悪魔を押し隠した人の良い笑顔を絶やさない。  きっとこの笑顔は、自分がそうであったようにこの女の子にも相当の威圧感を与えているのだろう。 「インテリア、だってさ。草吉くん!」  りそなが言った。 「草吉くん、なにかこの人に言いたいことある?」 「助けて下さい」  俺は心からそう言った。  心からそう思った。  りそなはにこにこ笑顔のまま彼女に振り返り、返答を求める。  しかし、状況の一切飲み込めない小さな女の子は動揺混じりに首をかしげるばかり。  ……ここで一つ注意しておくと、“小さな女の子”と言っても小さいのは身長ばかりで、物腰や風貌からするとおそらくは自分やりそなより年上だった。 「……草吉くんを助けにきたの?」  りそなが訊ねる。  そうだ、動機だ。この女の子は、なぜこの部屋に入って来たのだろう?  小さな女の子は額に汗を滲ませながら、必死に自分の中で考えをまとめている風だった。 「……ええと、私はしがない一バイトに過ぎなくて、この部屋にやってきたのも“盗聴機を仕掛ける”という目的ただ一つでして……  なんというか、あなたやこの血まみれの彼の事なんて、ついぞ知らないし、興味も無いんだけど……」  小さな女の子はそこで、引きつった笑みを浮かべた。 「仕事を遂行させるって点では、むしろ彼を助けちゃったら盗聴機を仕掛けた意味がなくなっちゃうんだろうなー、なんて思ったりもします」  りそなは、うんうん、と頷く。 「じゃ、あなたはあなたの仕事を終えたんだ」 「はい、そんなわけでお暇させて頂きます!」 「ダメ」  と、りそなが言った。そりゃあそうだろう、と俺は思った。 「私の仕事は、人に見られちゃいけないもので、あなたは不幸にも自分の仕事の合間にそれを見てしまった。  あなたはこれから……あ、お名前なんでしたっけ?」 「ユカ、就職浪人19才」 「私はりそな。よろしくねユカさん!ユカさんは自分の置かれた立場上、たぶん“必死こいて逃げよう”とするんだろうけれど……」  おほん、と咳払いをするりそな。分かりきった事をあえてばかばかしいぐらいに筋道を立てて、りそなは語り続ける。 「でも、残念ながらあなたに逃げられると私は警察に捕まっちゃうから、この右手に持った原始的な工具で、あなたの頭を叩きつぶさざるを得ない。  ホント、恨みも何も無いんだけどね。分かる?」  りそなの右手に握られたハンマーを眺め、うんうん、とユカは頷いた。 「今ここで逃げられないと分かったあなたは、あるいは私を逆に殺そうと仕掛けてくるかもしれない。  これはまだあなたにとって現実的な手段だと思うけど……後始末って、大変な仕事なんだよ」  うんうんうん、とユカ。 「誰かが、あるいはお互いが不幸になってしまう選択肢よりを取るよりは……となると、話合いだよね」 「うん、うん」  しかし、二人は気づいていないだろうけれど、それは俺にとって最も不幸な結末の一つであった。  俺が取るべき選択肢は、“必死扱いてユカを逃がす”だ。  俺は自分の足を床にうち止めている、くそ忌々しい釘に目をやった。  少々しんどい思いをしなければ、ユカを逃がす事は出来ないらしい……。 「示談で解決となれば、私の求めるものは一つ!あなたをよこした人間の話」  とりそなは言った。 「私は何も知らないの。ただ、私がたまたま暇で……ピッキングが出来た、ってだけで」  ユカの言葉。  俺は深呼吸をし、右足に力を込める。 「よく考えて物を言ってね」  と、りそなは少々いらだちながら早口でそう言った。 「あなたが何も知らないなら、示談はそこでオシマイなんだから」  足に力を込め、右足を上げると、釘の返しの部分が足の傷口を裂いていった。  ……痛かった。が、我慢の出来ない痛みじゃなかった。  あるいは焦燥感が全てを麻痺させているのかもしれない。  ユカは困った顔をして、目を泳がせる。 「……ま、大方検討はついているんだけど。真っ向から“吸血鬼”に対峙する人間なんて、そうはいないもの」  右足が釘から抜けると、俺は聞こえないため息を漏らした。  ……もう一本の足が残っている。 「でもま、きっちりお仕置きはしなきゃね! さあ、あなたを派遣した人間は、いったいどこの誰ですか?」 「……そ、園崎さん」 「園崎?」  左足が抜けた。 「……て、誰だっけ……んー?」  顎に手を当て、首をひねるりそな。  俺は言葉にならない叫び声をあげ、渾身の力で椅子ごと立ち上がると、椅子自体の重さと両手に食い込む釘の痛みに思わずその場ですっころびそうになった。  しかし、こちらも最初で最後のチャンス。  俺は気力を振り絞り、憎き魔女めがけて全体重+椅子の重みをかけたタックルをぶちかます。  りそなは慌てて身構えたものの、とてもじゃないが女の子の体重で支えきれるものではなく、声をあげる間もなくその場に転がった。 「いまださっさと逃げりっ!」  かんだ。が、意思は伝わった。  ユカは慌てて出口の鍵を開けると、前衛的なインテリアの部屋を飛び出したのだった。